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インド音楽

162、アーユルヴェーダ音楽療法入門24(心から湧き上がる想い・言葉や音楽-その1-)

前回説明しましたように、古代インド「ヴェーダ科学・タントラ」でも「Kosha(鞘/人間の階層)論」で説かれている「本来の人間の精神構造」の「第二の階層:心を囲み守っている論理的思考回路」は、その人間の心身が「健全(Defolt)」である限り、それ自体が、極めて論理的な「思考領域」であるばかりでなく、極めて聡明な「フィルター器官」でもあるのです。

その結果、外部からの刺激や情報(音楽や言葉、文字、象形を含む)を適切に選択して遮断することが可能なのです。これによって「心」が守られているのです。

音楽の場合、「雑音を遮断する」ばかりでなく、より正しい音楽(フェイク・ギミック・ハッタリ・表層的な技至上主義・大衆迎合性、などを極力排除した音楽)であると判断した場合、「城壁の城門を開く」がごとく、その音楽を「心に届かせる」働きをすると考えられます。
するとその音楽は、自在に「心と感情が融和した領域」に漂い、その効果は心に深く刻まれると共に、思考も記憶もそれをしっかり留め保管します。
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洋の東西を問わず、名演奏家と称された人々は、子どもの頃から修行時代を通じて、聴くべき音楽家の演奏に触れて、ただ「ぼーっ」と「楽しい・癒される・面白い・格好良い」と聴くだけでなく「何故だ?トリックがあるとしたら、それは何だ?何処に隠し味があって、何がつなぎで何が本領か?」などを無意識に猛スピードで分析していたに違いありません。

「論理云々」の知識も興味関心もなくても行える、この作業自体が論理的分析なのです。(言わば「探究心の賜物」です)
料理家も同じでしょう。物つくりのプロは大概皆そうなのでしょう。従って「気分感情領域」で漠然と感動するのでもなく。心に届かせるだけでもなく。論理思考領域も大いに活性化して受け止めているのです。
逆に「聴くに値しない音楽」は、気分感情領域で「まぁ、悪くはないんじゃない」程度に適度に付き合って、論理思考領域の手前でブロックしている。おそらく途中から、気分感情領域でも大して聴いちゃいない。
また、「音と音楽が氾濫する現代社会」で「深い感性」を保つためには、むしろ「ブロック」よりも強力な「耳に入れないフィルター機能」が発達しているのかも知れません。
.....................................................................................................................................今回の主旨は、その機能の逆パターンです。つまり「心の叫び」とか「心から願う、愛す」ような衝動。こみ上げる思い。はどのように外に向かって発せられるのか? ということです。
それもまた実に単純で、前回の図でしめした構造の、逆方向に過ぎません。
今回の図のように、「論理思考の城壁」の門番が門を開けて、「こみ上げる心の想い」が感情領域にほとばしるのです。

この時、「論理思考領域の論理的思考」は、「ほとばしる心からの音(や言葉)の行き先・届け先」をしっかりと見極めます。言い換えれば、「その目的地が在ってこそ、開門される」とも言えます。
それらは、図の「愛すべき対象」です。
逆に、図の左上で赤い丸で示したような世俗的な満足などの為には、論理的思考の関与など不必要であり、当然「心からの音(言葉)」である必要もありません。
言い換えれば、「論理的思考を有するプロ・ミュージシャン」は、気分感情領域で思考(工夫)した音(聴衆・大衆に受け入れられる音/売れる音楽)を巧みに発して届けさせることが出来るのでしょう。

勿論、全く別な次元で、「相手を選ばず・方法(手段)を選ばず発するべき時と場合」もありましょう。それは「論理的思考」がその信念(宿命的責務)を強く抱いた時です。
「何処の誰にどう受け止められ、どう理解されようとも、発せねばならない音、言わねばならない言葉」などです。
ある意味「目的も到達点も無い音や言葉」ですから、「虚しさ哀しさ」は付きまとうかも知れません。しかし、逆に言えば、「目的がある発信=受け入れられることが分かっている=打算的」とも言え、この「虚しく哀しい発信」こそは、より純粋ということも出来るかも知れません。

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私事で恐縮ですが、
私は幾つかの理由があって、我が娘が乳幼児の頃から「赤ちゃん言葉」は、一切使いませんでした。
ところが、保護猫たちにはついつい幼稚な言葉も使ってしまうことがあります。無論「でちゅね~」などはありえませんし、90%以上は、普通の言葉、むしろ他人が見たら驚くような真面目な話、論理的な話をしていますが。「良い子だね~、頑張ったねぇ~」と褒めたり、叱る時も「駄目じゃん」などとオブラートに包むような言い方をしています。

これらはある意味、「気分感情が発する言葉」を「一旦論理思考(ある種の冷静さ)で吟味してから」、相手が受け止め易いように修正して伝える。というプロセスと考えます。

私の場合、(殆どの人がその価値を理解しない)1970年代から民族音楽を研究し紹介して来ました。
その為、多くの人々が「良く知らない、興味が無い」というテーマのものを「聴いてみようか」と思って貰えるように、或る意味「手を換え品を換え」て伝えることが「癖」になっていて、「これが駄目ならこれではどうだ?」と、「表現方法は何でも良い」「常に沢山の表現方法を用意しておくこと」が基本になってしまっていると考えられます。

逆に30歳代、「言葉の表現・選択」に関してかなりストイックになっていた頃、「音楽表現」にも深く関わることですから「ニュアンスの問題」というものを重視していたことがあります。お弟子さんの何気ない言葉にしばしば執拗につっかかったものです。奇しくも(不運にも?)時代は全く逆行しており、「ニュアンスの問題」でスルー、逃げ切ることが主流になり始めた時代です。

この風潮は今日でも全く衰えることがなく、むしろ完全に定着しています。「相手に通じない」という事態に至れば、極めて多くの人が「言葉足らずでした」とおっしゃる。

まさか今日この歳になって、30歳代の時の様に「足らず?なら足らしてみなよ」などとは申しませんが。仮にそうお願いしたところで「補足出来る人・言い直せる人」は極めて少ないと考えられます。
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今年の夏に出ました新著は、昨年の11月からの作業でしたが、年末年始に一旦「打ち切りか?」というほどの事態に至りました。幸いに編集会社の社長が出来たお方で、問題を見事にクリアーにして下さり担当さんを替えて下さってからは、万事順調に進んで良い本・良いお仕事に至りました。

前任者さんは、ごく普通の何も悪気も無い人でしたが、肝心なところで「曖昧な表現」がどうにも無視出来ないことが重なったのでした。

これらは現代人と現代社会の極めて重大な過失と考えます。

乳幼児やペットなど「愛すべき存在」に対して、「相手が受け止め易いように」と「自らの気分感情も穏やかにする」両方の効果が得られる「感情領域で発した言葉を一旦思考領域で吟味修正して発する癖・習慣」は、多くの方が自然に行う、良い手段と言えます。

ところが、或る意味より慎重に丁寧であるべき「仕事上でのやりとり」で「曖昧言葉・慣用句」でやり過ごそうとするのです。

それらは、「誤魔化し言葉」に他ならないに止まらず、最も否定されるべき点は「実は相手を選んで言葉を選んでいない」という点にあります。

前述の編集会社の後任担当者さんは、当初恐々としながらも、「間違った時は、誤魔化さずに素直に謝罪し訂正すれば良いのだ」と分かってくれた後は、むしろ「仕事・営業モード」よりも自然体で冗談や軽口を言いながら充実したやりとりを重ねてくれました。

つまり、現代社会の「営業用語」は、「相手が誰であれ、どう展開したとしても融通が利くようなズルい曖昧さを持たせている」ということなのです。

そして「問題(誤解、行き違いなど)が生じた場合」。「言葉足らずでした」とか「ニュアンスの問題だ」などの「二三種類の乏しい語彙を、相手に応じて使い分ける逃げ言葉」ではぐらかす訳です。

このような「発言方法」が「癖」になってしまえば、「一旦思考回路で吟味する」などということは全く不要になってしまいます。

現代社会は、ありとあらゆることに於いて、思考回路を駄目にする要素に満ちていると、痛感させられます。

哀しみを超えて、恐怖の念さえ覚えるのが、
音楽に於いてもまた、この調子で「音や旋律、リズムが発せられている」ということです。

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何時も最後迄ご高読をありがとうございます。

福岡市南区の自宅別棟楽器倉庫の教室では、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行っています。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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