163、アーユルヴェーダ音楽療法入門25(心から発する-その2-)

1)論理思考は気分感情の状態を見て開門する。
当連載コラムの前々回(Vol.161)と、前回(Vol.162)で、「心を守る城壁:論理的思考領域」は、外部からの情報(雑音・雑語・刺激)を分別して『開門』し、「(より内面に在る)心(の領域)に必要かつ有効的なものだけを」を届けると共に、「心からの発信」に関しては「(外部の)届け先と梱包(音や言葉の使い分け)」を吟味してから『開門』する、と説きました。
例外的に「相手が誰であれ、選ばずに発信・述べねばならないこと」もある、と述べました。
しかし、むしろこれこそは「論理的思考」が極めて慎重かつ吟味した「理念・信念」に基づくものに他なりません。

続編の今回は、このテーマを「外因反応ではない、内発・自発的な心からの発信」という意味に集中しつつ、「論理的思考力」の衰えが、どのような展開を作り出すか?についてご説明します。
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2)自閉系を含む四つの円図の説明
今回の図もまた、かつてご紹介したものですが、
上段右の円図は、「人間の(健康的な)本来の精神構造図」で、左が「現代人の病んだ精神構造図」です。
左の図では、赤い矢印で示した「外部からの刺激」に対して、反応することに辟易としながらも、休む間もなく。休んだとしても「現実逃避的な『ストレス解消』や『癒され』ばかり」な結果「論理思考領域の城壁」が崩れ、「心の領域」迄もが「気分感情と同様の反応領域」に変質してしまっている状態を示しています。
その結果、このような状態の人間は「本当の自分の意思・感情は何なのだ?」「自らこみ上げて来る想いはあるのか?」と日々悩むことでしょう。そして、遂には、その「悩むこと」からも逃避し、『考えないように』して、さらに「消え掛かった思考回路の余力・片鱗」さえも崩壊させてしまうのです。

無論、「本来の健康な精神構造」でも、「何らかの刺激」によって「内発する」ことはあります。
例えば「お腹が空いた」「眠い」など、個人の内面から発したとしても、それは「心・思考・気分感情」にとっては「与えられた刺激に対する反応」に過ぎません。
この意味では「全く反応ではない発信・発現は存在し得ない」とも言えますが、
「病んだ精神構造」と「本来の(健康な)精神構造」とでは、「反応の意味・種類」と「自主性・自発性・ヴィジョン・筋道・脈絡の有無」が全く異なります。
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一方、図の下段は、「別な意味・次元で問題のある精神構造」です。
下段左図は、かつて「低機能自閉症」と呼ばれた人格の精神構造で、何らかの医学(病理学)的障害によって、「論理的思考領域」の機能不全はもとより、「気分感情領域」に於ける理性、感情制御もままならない場合で、同時に言語の理解も厳しいために「低機能」と呼ばれた障害です。
下段右図は、かつて「高機能自閉症」と呼ばれた人格の精神構造で、低機能に対し「言葉がある程度理解出来る」他、何らかの限られた分野に於いて、むしろ常人を上回る才能を示したりする人格です。エジソン、アインシュタインや芸術家に多く見られます。
「低機能/高機能」が「差別的」という奇妙な解釈が発展し始めた頃、後者は、「アスペルガー症候群」という呼び方に改められましたが、程なく、全てを総括して「自閉症スペクトラム(Autism Spectrum Disorder:ASD)」や「発達障害(Developmental disability:DD)」などに改められました。
更に「注意欠陥・多動性障害(Attention-deficit hyperactivity disorder:ADHD)」などの呼称も加わり、昨今の「人権問題・差別問題・社会的包摂観念・障害者福祉」の観念の改善・浸透を受けて、一般への紹介や理解もかなり発展しています。
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自閉系が世界を救う?
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自閉系についての考察は、次回により詳しく述べますが、ここでは本旨の「音楽や言葉の発信について」おおよその結論を述べます。

結論から言えば、「自閉系には大きな問題が内在されているが、大きな可能性がある」「自閉系は、社会の大半を占める『非自閉系の病んだ(ほとんどの)人間』を救う可能性さえある。ひいては、それは『社会を救う』ことに他ならない」ということです。

まず、四つの図を見ていただければ明白ですが、
上段左の『世の中の圧倒的多数である非自閉系の病んだ(ほとんどの)人間』は、主に「外部からの情報・刺激」に疲弊し切っており、「アパシー症候群」や「うつ病」もその発生率を上げています。私は、(まだ裏づけが不充分ですが)「アレルギー」「癌」「認知症」もこの関連から発症率が高まっているとさえ考えています。
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「自閉系」も「本来の健康な人間」も、もちろん「何らかの情報・刺激」によって、その「内発感情・思考」を作り出しますが、「現代の多くの病んだ人間」との大きな違いは、「その自主性度合い」です。

その結果、
「自閉系」と「非自閉系」とでは、「発信された『音』や『言葉』には、大きな違いが生じる」ことは間違いがないことです。

その根拠のひとつに「反応思考が主な非自閉系」には、決定的に「時系列の整理が出来ない」「自分の行動の根拠を認識出来ない」「自らの行動・思考に脈絡がない」という大問題があります。幼稚な例えで言えば、「民法のTVをだらだらと眺め、次々に脈絡なく飛び込んで来るCMに対し、『好きだ・面白い・楽しい・興味ない・嫌だ』を認識する生活」に慣れ切ったようなものです。

次々に繰り出される「TV-CM」同士には、当然「脈絡」がありません。
当然、より根源的な「幹」や「太枝」を想わせる、思考させ、気づかせ、学ばせる要素は皆無に等しいといえます。当然、「地に足が着いた」とか「大地に根を張った」などからも遥かに乖離した「感覚世界・印象世界」です。

それどころか「TV-CM(ネットの様々な広告もしかり)」は,個々個人が「アイデンティティーを認識している立ち位置(ひとつの枝葉)からさえも遊離した世界」を、次々に見せられる訳です。

「自分の枝葉にしがみつきながらも」「視覚聴覚は、とんでもなく乖離した様々な枝葉を見せられる日常」なのです。しかもそれらには、一切の「脈絡・根拠」もなければ「関連・リンク」さえもありません。
にも拘わらず、「アンテナを張る」などという全く逆のことを推奨してしまえば、現代人の「脳機能・精神構造」は、痛めつけられおかしくなって行くばかりです。

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そのような日常に疲弊し・慣れさせられた人間が発する「音や言葉」に、深みが在り得るでしょうか?

明白なことです。

「いや俺様は、『発信』に関しては、深みがあるぞ!」とおっしゃる人が居たならば、
そこには、極めて「論理的な根拠」がある筈です。
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一方、自閉系の人々の中に、常人にはないすばらしい芸術・文化の才能を持っていることは昔から良く知られています。

その他に、近年では積極的に「発達障害者」を雇用し、常人にはない「集中力・発想」を活かす企業が増えていることも頻繁に報道されています。

それは、
「きっかけ」は、「外部からの刺激・情報」があったとしても、「発信する動機」は、内面から湧き上がったものであるからに他なりません。

ただ、問題は、「深みのない音や言葉」を発することに慣れた「非自閉系」の人々に、そもそもの「深み」が感じられない人、本能的に分からない人、求めない人、も急増し始めたことです。

「結果と現象が重視される企業(や職場)」の場合、上記のような試みが評価されつつあるとしても、日常のプライベートな価値観に於いて「良さが分からない」のでは、「自閉系の人々の才能」が、受け入れられ、選ばれ、喜ばれ、求められる可能性は、一気に激減すると考えられる問題があります。

加えて、既に「プロを自認する、非自閉系音楽家・文筆家・評論家」には、恣意的から無意識までグラデーションで差を持ちながら、「自閉系の才能」を、黙殺するのみならず、不当な過小評価・巧みな取り込みによって利己に利用し、ひいては根絶やしにしてしまおうという人間も存在します。その動機・理由は様々です。
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「好き嫌い」の問題や、「自然食や添加物云々」を抜きにして、
ファミレスなどに行ってみれば、良く分かることでしょう。

「論理思考領域」を鍛え、日々活用し、「気分感情領域の思考」と即座にスウィッチを切り替えられる人は、ファミレスの周囲の会話に全く邪魔させず「自分の世界」を保つことが出来ます。

が、そのような人でも、スウィッチを「気分感情領域」に入れれば、周囲の会話は辟易とするほど不条理に飛び込んで来ます。故に、他方の「論理思考領域」を痛めてしまった人の場合は、さぞ「落ち着かなく不愉快な気分」でありましょう。

そのような場でのテーブルごとの「仲間・グループ」の会話に、「知人、職場の同僚、上司などの悪口」のなんと多いことか。
これなどは、典型的な「込み上げる思い(誰かに言わずに居られない)」に他なりませんが、「発信源」が「気分感情領域」なのです。
「論理的思考領域からの込み上がって来る想い」があるとしたら、時勢や状況・環境に拘わらず、長年抱いて来た「文化・芸術への想い」や「人生論」「人間論」などの類でしょう。
稀に「処世術」のような話を、あたかも「人生論・社会論」のごとく熱弁している人も居ますが、殆どが「個人的経験論」の域を出ないことで「論理的思考領域」からの発信ではないことが分かります。
「経験論」に普遍性(置き換え・応用性)が見出されない限り、そこには論理性は希薄だからです。

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何時も最後迄ご高読をありがとうございます。

福岡市南区の自宅別棟楽器倉庫の教室では、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行っています。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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スタッフ日記:フード・サービス・プログラムのご報告(最近の状況)

フード・サービス・プログラムにご支援をいただいている皆様、本当にありがとうございます。
最近の写真が届きましたので、ご報告をさせていただきます。

過去100年間で最悪の被害が報告された豪雨災害から、4ヶ月が経とうとしています。
まだ復興作業は続いていますが、災害の影響はだいぶ落ち着き、人々は日常を取り戻しつつあります。
10月以降続いたセカンドモンスーンも終わり、2月から始まる長く暑い夏を迎えるまで、しばらくは穏やかな気候が続きます。

天候が落ち着くと、病にかかる人も少なくなり、病院は一年の中でも訪れる人が少なくなる時です。
特に豪雨災害後はこれまでにないほどの人で溢れていたため、現在はとても落ち着いた時を迎えています。
それでも、毎日150食〜200食分の食事を準備しています。
食事量は、前日の入院状況や、日々の病院の稼働状況によって判断しているため、足りなくなることや、無駄になることはほとんどありません。

日没が早くなった現在は、配給が行われる17時半頃にはあたりが暗くなるようになりました。
しかし、キリスト教徒が多くクリスマスが盛大に祝福されるケーララ州では、アドベントの期間を迎え、周囲には小さな光とともに喜びを見る機会が多くなります。
病院での配給の際にも、毎年、一人ひとりにクリスマスケーキを配りますが、苦難に満ちた今年こそ、一人でも多くの人へ喜びが行き渡るよう、準備を進めています。
すべてが流され、生きる希望すら見失った人々も、皆様の温かいご支援を通じ、日々に明るい喜びを見出すことができることと思います。

皆様の温かいご支援に心より感謝申し上げます。
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。

(スタッフ:ひるま)

太陽の愛

凛とした空気の中に、透き通るような自然の美しさを見る季節になりました。
しかし、心身は太陽の温かな光を欲してなりません。
そんな時、インドでは、太陽を崇めるマカラ・サンクラーンティが祝福されます。

日本の冬至にあたるマカラ・サンクラーンティでは、私たちに限りのない恵みを与える太陽がスーリヤ神として崇められます。
ヒンドゥー教においては、至要たる存在として崇められてきたスーリヤ神。
そんなスーリヤ神の妻となったのが、創造神であるヴィシュヴァカルマンの娘、サンジュニャーでした。

サンジュニャーは、万物を育むスーリヤ神を深く愛する誠実な妻となります。
しかし、スーリヤ神の放つ熱に耐えられなくなると、自らの影を残してスーリヤ神のもとを去ってしまいます。
その後、サンジュニャーは雌馬の姿となって、この地を彷徨ったという神話が伝わります。

そんなサンジュニャーの姿は、この地で生きる私たちの姿を映し出していると教えられたことがありました。
太陽という最高の光から遠ざかり、この地を彷徨ったサンジュニャーは、まるで、神から遠ざかり、この物質世界で欲望に駆られている私たちのようです。

変化を求め欲望に突き動かされる私たちにとって、神という不変の真実を見ることは、時に耐えられないほどの苦痛を伴います。
そうして私たちは、真実から遠ざかり、光を失い、無知という暗闇の中でもがき続けなければなりません。
事実、スーリヤ神のもとを去ったサンジュニャーには、多くの苦難が待ち受けていました。

しかし、後にスーリヤ神はサンジュニャーを見つけ出すと、彼女を連れ戻し、再び夫婦となります。
太陽が万物を照らし、限りのない恵みを注ぎ続けるように、神の恩寵は常に私たちを取り巻いています。
私たちの霊性修行とは、その光の中で生き続けることができるかということを意味しているのかもしれません。
そうして真実を理解する時、私たちは不変の幸福の中で生きることができるはずです。
冬から春へ、闇から光へと変わるマカラ・サンクラーンティにおいて、太陽の光をしっかりと見つめたいと感じます。

(文章:ひるま)

※スーリヤ神とサンジュニャーにまつわる神話は、聖典によってさまざまに異なります。

マカラ・サンクラーンティ2019

2019年1月15日はマカラ・サンクラーンティです。マカラ・サンクラーンティは、春の到来を告げる収穫祭であり、インドに限らず、東南アジアの国々でもお祝いされる盛大なお祭りです。

マカラとは「山羊座」、サンクラーンティとは「変遷」のことであり、この日より太陽が山羊座に入ることから、マカラ・サンクラーンティと呼ばれています[1]。

マカラ・サンクラーンティは日本でいう冬至にあたり、昼がもっとも短い日であり、この日から太陽は北方への回帰を始めます(ウッタラーヤナ)。
緯度の違いから、日本では例年12月22日頃がそれにあたります。

インドの聖典「バガヴァッド・ギーター」では、ウッタラーヤナについて次のように述べられています[2]。
「火、光明、昼、白月、太陽が北に向かう六ヶ月。そこにおいて、逝去したブラフマンを知る人々はブラフマンに達する。(8.24)」

インドでは太古よりウッタラーヤナの期間中に肉体を去ることは、成就に至るために重要であると考えられてきました。
そのためマハーバーラタの英雄として知られるビーシュマは、この吉兆の時に死ぬことを望み、ウッタラーヤナが訪れるまで、矢でできた臥床で死を待ったといわれます。

マカラ・サンクラーンティの吉日では、インド各地において、朝早くから沐浴をし、祈りを捧げ、太陽の恵みに感謝し、豊作を祈願します。
また精神的な恵みを得るためにも重要な吉日であると考えられています。

プラーナ文献では、マカラ・サンクラーンティから1ヶ月間、太陽神スーリヤが息子である土星神シャニの家を訪れると述べています。
山羊座は、インド占星術における土星神シャニが支配する星座です。
父スーリヤとその息子シャニは、いつもはあまり仲が良くありませんが(敵対星座)、父スーリヤが1ヶ月間、息子シャニの家に来ることにより、お互いの関係を確かめ合います。
これは占星術的には、一般の父と息子の関係にとっても重要な意味があるととらえられています。
息子にとっては、父を快く受け入れることで、よりよい家族関係を築くのに重要な時期であるといわれます[3]。

また太陽が北へ向かう6ヶ月の間(冬至から夏至の間)、ここから神々の昼が始まるとして、多くの祭事はこの期間を中心に行われることになります。
太陽が南へ向かう6ヶ月の間(夏至から冬至の間)は、神々の夜にあたる時期と考えられ、ギーターでは、「そこにおいて、逝去したヨーギンは月光に達してから回帰する。(8.25)」と、忌み嫌われている時期であることが窺えます。

しかし、ガンディーが「無執着ヨーガ」の中で、「信愛に従い、ひたすら無執着の行為を行い、真理を見た者は、いつ死のうとも解脱を勝ち得る。」と述べているように[4]、真理とともに生きている人々にとっては、毎日がマカラ・サンクラーンティのような吉日であるといえるのかもしれませんね。

太陽の恵みを感じやすくなるこの時期、皆さまに大きな恵みがありますように。

Reference
[1] Sankranthi, Wikipedia, http://en.wikipedia.org/wiki/Makar_Sankranti
[2] 上村勝彦訳,バガヴァッド・ギーター,岩波文庫,1992
[3] Makar Sankranti, http://www.rudraksha-ratna.com/news_letter/makarsankranti-mailer-2015.html
[4] 赤松明彦著,『バガヴァッド・ギーター』神に人の苦悩は理解できるのか?,岩波書店,2008

2019年のサンカタハラ・チャトゥルティー

月の満ち欠けのそれぞれ4日目はチャトゥルティーと呼ばれ、ガネーシャ神に捧げられる吉兆な日として崇められます。満月からの4日目はサンカタハラ・チャトゥルティーと呼ばれ、新月からの4日目はヴィナーヤカ・チャトゥルティーと呼ばれます。

サンカタハラの「サンカタ」は「困難」、「ハラ」は「取り除く」を意味します。このサンカタハラ・チャトゥルティーにおいては、ガネーシャ神のマントラを唱えたり、祈りを捧げたり、断食を行うことが勧められます。これらのヴラタ(戒行)によって、困難を抱える人々からは障害が取り除かれ、幸せや豊かさがもたらされると信じられています。

2019年のサンカタハラ・チャトゥルティーをご紹介いたします。特に、ガネーシャ神に捧げられる火曜日にこのチャトゥルティーが重なることはとりわけ吉兆な時とされ、それはアンガーリカー・サンカシュティ(サンカタハラ)・チャトゥルティーと呼ばれます。2019年はアンガーリカー・サンカシュティ(サンカタハラ)・チャトゥルティーは生じません。

1月24日(木)
2月22日(金)
3月24日(日)
4月22日(月)
5月22日(水)
6月20日(木)
7月20日(土)
8月19日(月)
9月18日(水)
10月17日(木)
11月16日(土)
12月15日(日)

参照:Sankashti Chaturthi 2019

スタッフ日記:第35回アンナダーナ終了しました!

第35回アンナダーナにお気持ちを寄せていただきました皆さま、本当にありがとうございます。今回は病院にて、滞りなく終えることができました。

病院では、10回目の実施となりました。
12月に入り、北インドに位置する首都のデリーも気温がだいぶ下がっています。
アンナダーナを実施した土曜日の朝には、7.6℃まで気温が下がりました。
こうして冷え込みが厳しくなると、北インドの大都市では大気汚染が深刻となります。
特に気温が下がる早朝は、有害物質が停滞するために、前が見えないほどの靄がかかることも多くあります。
さまざまな環境対策が実施されるようになりましたが、大きな効果は見えていません。

病院でのアンナダーナは、そんな大気汚染の深刻なデリーの路上で行われます。
病院へは、広大なインドの各地から訪れる貧しい人も多く、中には路上で寝泊りをしている人もいます。
また、病院の周辺では常にアンナダーナが行われているため、食事を得るために、路上で生活をしている多くの人々が集まります。
デリーでは、フライオーバーの下などで、住居のないたくさんの貧しい人々が生活をし、そこには小さな子どもの姿も多くあります。

そのため、病院の周辺では複数のアンナダーナが行われていますが、配膳の準備を始めると、あっという間に大行列となります。
それでも、静かに並んでくださる方が多く、混乱するようなことはありません。
今回は、準備も滞りなく進み、11時前には病院の周辺に到着し、すぐに配り始めることができました。
列が途切れることなく、2時間半ほどで準備した1000食分以上の食事を配り終えることができました。

インドの大都市では、深刻な大気汚染の中で生活することを余儀なくされ、病にかかる人も増えています。
自然も人も苦しむ姿が見られる今、万物が幸せに生きることができるように、私たちは消費者としての意識や行動の重要さを考える必要があります。
自然を崇め、調和のもとで生きてきた人々の生活を見習いながら、自然にやさしい取り組みを実践したいと感じます。

次回は、寺院でのアンナダーナを予定しています。次回も温かいご協力のほど、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

アンナダーナを通じ、皆様にも大きな恩寵がありますように。

(スタッフ:ひるま)

ヨーガ・スートラ第3章第47節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


ग्रहणस्वरूपास्मितान्वयार्थवत्त्वसंयमादिन्द्रियजयः॥४७॥
Grahaṇasvarūpāsmitānvayārthavattvasaṁyamādindriyajayaḥ||47||
グラハナスヴァルーパースミターンヴァヤールタヴァットヴァサンヤマーディンドリヤジャヤハ
把握作用、本質、我想、関係性、合目的性への綜制により、感覚器官を支配する。

簡単な解説:前節において、身体の完全さとは、美しい形、魅力、強さ、金剛の堅固さであると説かれました。本節では、感覚器官の支配について説かれ、それは、諸感覚の把握作用、その本質、それらに結びつく我想、それに内在する三つのグナ、それの合目的性などへの綜制によって可能になると説かれます。

好きな神様と合う神様

バクティ(神への信愛)の道に興味が湧くと、好きな神様が出てくるでしょう。
これは、ヒンドゥー文化のみならず、複数の神仏を礼拝する宗教宗派では当然のことだと思います。
インドの文化の場合、この好きな神様は自分が幼いころから親しんできた神様だったり、グールー(グル・師)が信奉する神様だったりします。あるいは占星術師に勧められた神様である場合もあるでしょう。
どのような神様を礼拝しても最終的にはゴールにたどり着くのですが、それぞれのルートには個人の性質により向き不向きがあります。
シヴァを選んだ場合は、その浄化は激しいでしょうし、ヴィシュヌの場合は比較的穏やかかもしれません(その方の運命などにより異なります)。
より自分にあったルート(神様の礼拝)を選んだ方が、確実に早く目標に達することができます。
その場合、グールーにご縁を繋いでもらった神様や、占星術的に礼拝に向いた神様がより合う可能性が高いです。
グールーにつないでもらった神様は、あらかじめ弟子の性質を見極めて選ばれている可能性が高いですし、すでにご縁をとりなしていただいている、とも解釈できます。
ですからもっとも合う神様と言ってもいいでしょう。
しかし、インド人ヒンドゥー教徒でもない限り、グールーを持つ方は少数派でしょう。
このコラムで何度かご紹介させていただいているように、占星術によって導きだされた神格は、その方の魂にとても合うように選別されています。
例え、自分の好みではない、と思った神様でも、あなたの心を解放し、運命を改善する力に満ちているのです。
表面的に神様の好みを決めるのも悪くありませんが、古代の叡智によって導きだすことをなさるのはさらにいいと思います。2019年も、もうすぐですね。新年に新たなな神様と縁を繋いでみるのもいいかもしれません。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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ガネーシャ・ギリ氏共著 『インド占星術と運命改善法』

ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定

ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス
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162、アーユルヴェーダ音楽療法入門24(心から湧き上がる想い・言葉や音楽-その1-)

前回説明しましたように、古代インド「ヴェーダ科学・タントラ」でも「Kosha(鞘/人間の階層)論」で説かれている「本来の人間の精神構造」の「第二の階層:心を囲み守っている論理的思考回路」は、その人間の心身が「健全(Defolt)」である限り、それ自体が、極めて論理的な「思考領域」であるばかりでなく、極めて聡明な「フィルター器官」でもあるのです。

その結果、外部からの刺激や情報(音楽や言葉、文字、象形を含む)を適切に選択して遮断することが可能なのです。これによって「心」が守られているのです。

音楽の場合、「雑音を遮断する」ばかりでなく、より正しい音楽(フェイク・ギミック・ハッタリ・表層的な技至上主義・大衆迎合性、などを極力排除した音楽)であると判断した場合、「城壁の城門を開く」がごとく、その音楽を「心に届かせる」働きをすると考えられます。
するとその音楽は、自在に「心と感情が融和した領域」に漂い、その効果は心に深く刻まれると共に、思考も記憶もそれをしっかり留め保管します。
…………………………………………………………………………………………………………………….
洋の東西を問わず、名演奏家と称された人々は、子どもの頃から修行時代を通じて、聴くべき音楽家の演奏に触れて、ただ「ぼーっ」と「楽しい・癒される・面白い・格好良い」と聴くだけでなく「何故だ?トリックがあるとしたら、それは何だ?何処に隠し味があって、何がつなぎで何が本領か?」などを無意識に猛スピードで分析していたに違いありません。

「論理云々」の知識も興味関心もなくても行える、この作業自体が論理的分析なのです。(言わば「探究心の賜物」です)
料理家も同じでしょう。物つくりのプロは大概皆そうなのでしょう。従って「気分感情領域」で漠然と感動するのでもなく。心に届かせるだけでもなく。論理思考領域も大いに活性化して受け止めているのです。
逆に「聴くに値しない音楽」は、気分感情領域で「まぁ、悪くはないんじゃない」程度に適度に付き合って、論理思考領域の手前でブロックしている。おそらく途中から、気分感情領域でも大して聴いちゃいない。
また、「音と音楽が氾濫する現代社会」で「深い感性」を保つためには、むしろ「ブロック」よりも強力な「耳に入れないフィルター機能」が発達しているのかも知れません。
…………………………………………………………………………………………………………………….今回の主旨は、その機能の逆パターンです。つまり「心の叫び」とか「心から願う、愛す」ような衝動。こみ上げる思い。はどのように外に向かって発せられるのか? ということです。
それもまた実に単純で、前回の図でしめした構造の、逆方向に過ぎません。
今回の図のように、「論理思考の城壁」の門番が門を開けて、「こみ上げる心の想い」が感情領域にほとばしるのです。

この時、「論理思考領域の論理的思考」は、「ほとばしる心からの音(や言葉)の行き先・届け先」をしっかりと見極めます。言い換えれば、「その目的地が在ってこそ、開門される」とも言えます。
それらは、図の「愛すべき対象」です。
逆に、図の左上で赤い丸で示したような世俗的な満足などの為には、論理的思考の関与など不必要であり、当然「心からの音(言葉)」である必要もありません。
言い換えれば、「論理的思考を有するプロ・ミュージシャン」は、気分感情領域で思考(工夫)した音(聴衆・大衆に受け入れられる音/売れる音楽)を巧みに発して届けさせることが出来るのでしょう。

勿論、全く別な次元で、「相手を選ばず・方法(手段)を選ばず発するべき時と場合」もありましょう。それは「論理的思考」がその信念(宿命的責務)を強く抱いた時です。
「何処の誰にどう受け止められ、どう理解されようとも、発せねばならない音、言わねばならない言葉」などです。
ある意味「目的も到達点も無い音や言葉」ですから、「虚しさ哀しさ」は付きまとうかも知れません。しかし、逆に言えば、「目的がある発信=受け入れられることが分かっている=打算的」とも言え、この「虚しく哀しい発信」こそは、より純粋ということも出来るかも知れません。

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私事で恐縮ですが、
私は幾つかの理由があって、我が娘が乳幼児の頃から「赤ちゃん言葉」は、一切使いませんでした。
ところが、保護猫たちにはついつい幼稚な言葉も使ってしまうことがあります。無論「でちゅね~」などはありえませんし、90%以上は、普通の言葉、むしろ他人が見たら驚くような真面目な話、論理的な話をしていますが。「良い子だね~、頑張ったねぇ~」と褒めたり、叱る時も「駄目じゃん」などとオブラートに包むような言い方をしています。

これらはある意味、「気分感情が発する言葉」を「一旦論理思考(ある種の冷静さ)で吟味してから」、相手が受け止め易いように修正して伝える。というプロセスと考えます。

私の場合、(殆どの人がその価値を理解しない)1970年代から民族音楽を研究し紹介して来ました。
その為、多くの人々が「良く知らない、興味が無い」というテーマのものを「聴いてみようか」と思って貰えるように、或る意味「手を換え品を換え」て伝えることが「癖」になっていて、「これが駄目ならこれではどうだ?」と、「表現方法は何でも良い」「常に沢山の表現方法を用意しておくこと」が基本になってしまっていると考えられます。

逆に30歳代、「言葉の表現・選択」に関してかなりストイックになっていた頃、「音楽表現」にも深く関わることですから「ニュアンスの問題」というものを重視していたことがあります。お弟子さんの何気ない言葉にしばしば執拗につっかかったものです。奇しくも(不運にも?)時代は全く逆行しており、「ニュアンスの問題」でスルー、逃げ切ることが主流になり始めた時代です。

この風潮は今日でも全く衰えることがなく、むしろ完全に定着しています。「相手に通じない」という事態に至れば、極めて多くの人が「言葉足らずでした」とおっしゃる。

まさか今日この歳になって、30歳代の時の様に「足らず?なら足らしてみなよ」などとは申しませんが。仮にそうお願いしたところで「補足出来る人・言い直せる人」は極めて少ないと考えられます。
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今年の夏に出ました新著は、昨年の11月からの作業でしたが、年末年始に一旦「打ち切りか?」というほどの事態に至りました。幸いに編集会社の社長が出来たお方で、問題を見事にクリアーにして下さり担当さんを替えて下さってからは、万事順調に進んで良い本・良いお仕事に至りました。

前任者さんは、ごく普通の何も悪気も無い人でしたが、肝心なところで「曖昧な表現」がどうにも無視出来ないことが重なったのでした。

これらは現代人と現代社会の極めて重大な過失と考えます。

乳幼児やペットなど「愛すべき存在」に対して、「相手が受け止め易いように」と「自らの気分感情も穏やかにする」両方の効果が得られる「感情領域で発した言葉を一旦思考領域で吟味修正して発する癖・習慣」は、多くの方が自然に行う、良い手段と言えます。

ところが、或る意味より慎重に丁寧であるべき「仕事上でのやりとり」で「曖昧言葉・慣用句」でやり過ごそうとするのです。

それらは、「誤魔化し言葉」に他ならないに止まらず、最も否定されるべき点は「実は相手を選んで言葉を選んでいない」という点にあります。

前述の編集会社の後任担当者さんは、当初恐々としながらも、「間違った時は、誤魔化さずに素直に謝罪し訂正すれば良いのだ」と分かってくれた後は、むしろ「仕事・営業モード」よりも自然体で冗談や軽口を言いながら充実したやりとりを重ねてくれました。

つまり、現代社会の「営業用語」は、「相手が誰であれ、どう展開したとしても融通が利くようなズルい曖昧さを持たせている」ということなのです。

そして「問題(誤解、行き違いなど)が生じた場合」。「言葉足らずでした」とか「ニュアンスの問題だ」などの「二三種類の乏しい語彙を、相手に応じて使い分ける逃げ言葉」ではぐらかす訳です。

このような「発言方法」が「癖」になってしまえば、「一旦思考回路で吟味する」などということは全く不要になってしまいます。

現代社会は、ありとあらゆることに於いて、思考回路を駄目にする要素に満ちていると、痛感させられます。

哀しみを超えて、恐怖の念さえ覚えるのが、
音楽に於いてもまた、この調子で「音や旋律、リズムが発せられている」ということです。

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何時も最後迄ご高読をありがとうございます。

福岡市南区の自宅別棟楽器倉庫の教室では、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」を行っています。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

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You-Tubeに関連作品を幾つかアップしております。
是非ご参考にして下さいませ。

Hindu Chant講座Vol.1

Hindu Chant講座Vol.2

Hindu Chant講座Vol.3

Hindu Chant講座Vol.4

Vedic Chant入門講座(基本理解編)

Ayurveda音楽療法紹介(基礎理解編)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編1)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編2)

アーユルヴェーダ音楽療法 (実践編3)

「いいね!」「チャンネル登録」などの応援を頂けましたら誠に幸いです。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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チャイルド・スポンサーシップのご報告(2018年11月)

チャイルド・スポンサーシップ(子どもの教育支援)にご協力をいただいている皆様、温かいご支援をいただき誠にありがとうございます。
11月の配給時の様子が届きましたので、ご報告をさせていただきます。

11月の配給は、NGOのスケジュールの関係で、11月25日に実施されました。
今年の夏に起きた豪雨災害の影響はだいぶ落ち着き、子どもたちは日常を取り戻しつつあります。
まだ復興作業は続いていますが、これからしばらくは落ち着いた天候が続き、今も子どもたちは学習に集中しています。

11月には、NGOの代表が国連総会に関連する会議のためにアメリカに滞在し、SDGs(持続可能な開発目標:Sustainable Development Goals)について触れる多くの機会がありました。
厳しい自然環境のもとで生きるインドの生活には、自然を崇め、共存するための多くの術が受け継がれていますが、子どもたちは今回の豪雨災害を目の当たりにし、特に自然環境について考えることが多くあるようです。
そういった子どもたちへ、NGOの代表は少しずつSDGsについての知識を共有し、子どもたちの意識を高められるように努めています。
まだ理解をするには難しい年頃の子どもたちも多くいますが、いつか子どもたちが社会に出るとき、役立つものとなればいいなと心から願います。

キリスト教徒が多いケーララ州では、クリスマスが盛大に祝福されます。
12月の配給時には毎年、すべての子どもたちにプラムケーキを配り、ささやかなお祝いを行います。
宗教や思想を超え、世界が調和のもとで発展するように、私たちも成長していきたいと感じます。

こういった活動を続けられるのも、皆様の支援が大きな支えとなっています。
生きとし生けるものが幸せに生きることができる社会になるよう、皆様のご支援を今後も活用させていただきたいと思います。

いつも温かいご支援をいただき、心より御礼申し上げます。
これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。

(スタッフ:ひるま)