マハーラクシュミー・ヴラタ2019

マハーラクシュミー・ヴラタは、主に北インドで行われる、ラクシュミー女神に捧げられる16日間の祈りや断食です。2019年は9月6日に始まり、9月21日まで続きます。

このヴラタでは、バードラパダ月(8~9月)シュクラ・パクシャ(月が満ちる約2週間)のアシュタミー(8日目)から、クリシュナ・パクシャ(月が欠ける約2週間)のアシュタミー(8日目)までの16日間、毎日のラクシュミー女神へのプージャーや、断食、もしくは菜食になるなどの食の節制を行います。

一説には、ユディシュティラ(パーンドゥの五王子の長兄で、パーンダヴァ軍の総帥)がクリシュナ神に、失った全てのものを取り戻すにはどうしたらいいか尋ねると、クリシュナ神はこのマハーラクシュミー・ヴラタを行うように説いたと言われています。このマハーラクシュミー・ヴラタを努め上げた者には、必要なものが全て授けられるとも信じられます。

敬虔な人々はこの16日間、食の制限を行い、真摯に祈りを捧げます。この間の祈りはとりわけ強くラクシュミー女神の下へ届き、多くの恵みが授けられると信じられています。

スタッフ日記:第47回アンナダーナ終了しました!

第47回アンナダーナにお気持ちを寄せていただきました皆さま、本当にありがとうございます。
今回の実施は、聖地として知られるリシケーシュのサイガートにて、滞りなく終えることができました。
リシケーシュでは、第6回目の実施です。

インドの各地では、恵みの雨が降り注ぐ雨季のモンスーンを迎えています。
モンスーンを迎えても、雨が降らない時期がありましたが、近頃は十分な雨が降るようになりました。
リシケーシュでも雨が非常に強く降る時があり、当日の実施も雨の心配がありましたが、無事に終えることができました。

現在は、ヒマーラヤ巡礼が盛んになる時を迎えており、その起点となるリシケーシュにはたくさんの巡礼者や旅行者が訪れます。
アンナダーナ実施前の8月15日の満月は、インドの各地でさまざまな祝福が重なった一方で、独立記念日も祝福されました。
お休みを利用して、聖地を訪れている人々の姿も多くありました。

配膳は、人々が集中する時間帯もありましたが、混乱することなく落ち着いて進めることができ、今回もおよそ1300食分を滞りなく配り終えています。
リシケーシュの実施では、可愛らしいテントを用意してくださり、食事が祝宴のように喜ばしい瞬間となります。
何気ない日常をこうして祝福できるように、与えられる日々に感謝をしながら過ごすことを努めたい感じます。

今回のアンナダーナは無事に終えることができましたが、モンスーンの豪雨によって大きな被害が出ている地域もあります。
これまでに、インドの各地で1000人を超える方が亡くなっているというニュースも伝えられています。
世界が平安にあるよう祈るとともに、こうした布施を通じて、清らかな社会に貢献できるような行為を努めたいと感じます。

供犠 布施 修行に関する行為は
止めてはいけない 進んで行え
まことに この三つの行為は
賢者をも益々浄化するからである
(バガヴァッド・ギーター 第18章第5節 神の詩―バガヴァッド・ギーター田中 嫺玉 (著, 翻訳))

次回も温かいご協力のほど、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
アンナダーナを通じ、皆様にも大きな恩寵がありますように。

(スタッフ:ひるま)

ヨーガ・スートラ第4章第27節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


तच्छिद्रेषु प्रत्ययान्तराणि संस्कारेभ्यः॥२७॥
Tacchidreṣu pratyayāntarāṇi saṁskārebhyaḥ||27||
タッチドレーシュ プラティヤヤーンタラーニ サンスカーレービャハ
その隙間に、潜在印象による他の想念が生じる。

簡単な解説:前節において、プルシャと覚の相違を知り、自己の存在に関して思いを巡らすことがなくなると、心は識別知の方向に傾き、プルシャが自分だけで存在する状態である独存に向かうと説かれました。本節では、そのような心であっても、その隙間には、これまでに蓄積されてきた潜在印象から他の想念が入り込むと説かれます。

ハタヨーガの素晴らしさ2

瞑想を長時間される方を拝見すると、頭にエネルギーが集まりすぎて不安定になられている方がおられるのを時々感じます。
どうも私たち黄色人種の場合、エネルギーは下腹部あたりにあるのが安定する方が多いらしく(あくまで個人の見解です)、頭にエネルギーが集まりすぎる方はフラフラした印象があります。
最近よく目にする「グラウンディング」という言葉には、こういう状態を防ぐ意味があるのかもしれません。
ただ・・頭にエネルギーがあることにより、不調を感じるかどうかは個人差があるようです。
不調を感じる方にとっては大きな問題なようで、有名な白隠禅師の軟酥の法などは、この問題を解決するための方法であるのかもしれません。
もちろんこのような現象は、日本人だけでなく、現地インドの修行者でもよく見かけます。しかしそれほど問題にならないように感じるのは、彼らは体質的にあまり不調を感じないか、あるいはそうした不安定な心身の状態を問題なく受け入れる社会の側面があるのかもしれません。

いずれにしましても、長い歴史を持つ行法体系の中にはこういった問題には必ず解決方法が付加されているのが普通です。

インド的な瞑想の場合は、ハタヨーガのある一定量以上の実践はこれらの問題を容易に解決します。
以前、頭にエネルギーが上がりがちな生徒様が、1か月ほどみっちりインドでハタヨーガ浸けの日々を送って帰国したら、エネルギーのバランスが理想的に整っていたことがあります。
ハタヨーガの素晴らしさはこんなところにも威力を発揮するのです。

もちろん、本当の意味で瞑想に熟達すればエネルギーの問題に悩まされることはなくなります。
でもそれは人によっては数十年先かもしれません。
それまでハタヨーガの素晴らしさを十分に味わい、ハタヨーガに助けてもらおうではありませんか。

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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ガネーシャギリ同行「星の力に守護された西インド・南インド至福の旅」

ガネーシャ・ギリ氏共著 『インド占星術と運命改善法』

ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定

ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス
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第52回グループ・ホーマ(ガーヤトリー・ジャヤンティ)無事終了のお知らせ

第52回グループ・ホーマ(ガーヤトリー・ジャヤンティ)にお申込みいただきました皆様、誠にありがとうございました。

ガーヤトリー女神を礼拝する、第52回グループ・ホーマは、8月15日に無事に終了いたしました。

プージャーの写真を以下に掲載させていただきます。

神々の祝福と、より良い体験がありますよう、心よりお祈り申し上げます。

第52回グループ・ホーマの実施内容はこちらよりご覧いただけます。

サットヴァの修行

私たちを至福の源泉へと導くクリシュナ神は、時を超えて、数々の教えを示し続けています。
そんなクリシュナ神の言葉が綴られたバガヴァッド・ギーターは、人々の心の支えとして、古代より大切に受け継がれてきました。
日々の中で抱く苦悩は、その美しい言葉が、すべて解いていくように感じることもあります。

そんなバガヴァッド・ギーターにおいて、クリシュナ神がサットヴァの修行について説く章があります。
肉体・言葉・心の面において実践すべきとされるその修行について、クリシュナ神は次のように述べています。

肉体的修行 苦行について言えば―
神々を礼拝し 長上の人や
師 賢者を敬って仕え
清潔 正直 節制 非暴力であること

言葉の修行は―真実を語ること
やさしく快い言葉 有益な言葉を語ること
他人の心を乱したり扇動したりせぬこと
そしてヴェーダ聖典を規則的に読誦すること

心の修行は―
足ることを知って常に心おだやかに
正直 率直 沈着であり
自己抑制をして身心の浄化につとめること
(バガヴァッド・ギーター 第17章第14-16節 神の詩―バガヴァッド・ギーター田中 嫺玉 (著, 翻訳))

これらの3つの修行は、清らかな信仰を持つ人々が、報果を求めずに行う時、サットヴァの修行になるのだといいます。
報いを期待したり、愚昧の者がしたりする修行は、不安定で長続きせず、自分や他者をも苦しめると説かれ、その修行の尊厳は失われます。
だからこそ、正しい目標に向かって私たちを動かす清らかな信仰を、何よりも大切に育む必要があります。

そしてこれらの修行は、私たちが社会の中で生きる日々においてこそ実践できる事柄です。
与えられたこの修行の場を活かすことができれば、私たちは至福の中で生きることができるに違いありません。

今年は、8月24日(または23日)に、クリシュナ降誕祭が祝福されます。
この神聖な時に、クリシュナ神の美しい言葉に繋がり、清らかな信仰を育みながら、何の報いも求めないサットヴァの修行に励みたいと感じます。
皆様にも、クリシュナ神の大きな祝福がありますよう、心よりお祈り申し上げます。

(文章:ひるま)

ダヒー・ハーンディー2019

今年は8月24日(もしくは23日)に、いよいよクリシュナ降誕祭を迎えます。
世界中で盛大な祝福が行われるこのクリシュナ降誕祭の中には、ダヒー・ハーンディーと呼ばれる熱狂的なお祝いがあります。
このお祝いは、クリシュナ降誕祭の次の日に行われ、今年は8月25日(もしくは24日)に祝福されます。

ダヒーはヨーグルト、ハーンディーは土壺を意味します。
このお祝いでは、人々が団結をしながら人間ピラミッドを作り、高いところに吊り下げられた土壺をココナッツなどで割ります。
そして、中にはいったダヒーを浴びると、クリシュナ神の大きな祝福があると伝えられています。

いたずら好きなクリシュナ神は、幼少の頃、大好物のバターやヨーグルトを盗んでは食べていました。
高いところに隠されたバターの入った壺を、友人たちと肩車をしながら盗む絵も描かれるほどです。

ダヒー・ハーンディーは、この一場面を真似た祝祭です。
現在ではピラミッドの高さが競われ、インドの数ある祝祭の中でも、とりわけ大きな熱狂に包まれるお祝いとして有名です。
このダヒー・ハーンディーにも、霊性を育むさまざまな教えが秘められています。

例えば、土壺は、私たちの肉体と見ることができます。
そして、その中に入ったダヒーは、肉体をまとった魂のように見えます。
私たちが大いなる至福を得るには、魂の永遠性を理解することが必要であると古代より説かれてきました。
そのためには、肉体は朽ち滅び、いずれ壊れるという事実を理解しなければなりません。
このダヒー・ハーンディーは、肉体から魂を解放する喜びの意味を私たちに伝えているかのようです。

しかし、それは決して簡単ではないことが分かります。
高いところに吊り下げられた土壺を割るには、目標に対する人々の固く定まった心が必要です。
一人の心でも乱れれば、ピラミッドはいとも簡単に崩れ落ち、土壺に届きません。
まるで、神の祝福は手の届かないところにあるもののように見えます。

しかし、クリシュナ神はどんなところに隠されたバターでも見つけ出し、その喜びを手にしてきました。
目標に対し、確かに定まった心があれば、どんな困難をも乗り越え、それを手にすることができるということをクリシュナ神は伝えています。
そうして人生を歩む時、私たちは肉体を超越した永遠の魂という、何よりもの祝福を得ることができるに違いありません。

(文章:ひるま)

188、アーユルヴェーダ音楽療法入門50 (用語辞典:キ・ク)

カ行・キ
キラナ・ガラナ:
北インド近世の新古典声楽「カヤール」の一派。16c.の楽聖ターンセンの娘の系譜「ヴィーンカル・ガラナ」から派生した非ターンセン血統のヴィーンカル(弦楽器ヴィーナ演奏者)のUd.Bande Ali Khanから発したが、主要カヤール流派の中で、最も早く西洋楽器(手ふいごの鍵盤楽器:ハルモニヤム)による伴奏を起用した。(伝統的な微分音を無視することを意味する) 上記創始者がJaypur-Ghatana、Indore-Gharanaの強い影響を受けていることも考慮すべき。

キールターン:
ヒンドゥー讃歌(献身歌)の一種。主唱者と合唱隊の掛け合いによる。「キールターン」の字義は「繰り返し」とも言われる(※)。その起源は、ヴェーダ時代に遡る、という説がいる一方。今日の歌唱様式の原型は、15~16cのヒンドゥー献身運動「バクティー」から発したとされる。同源の「バジャン」が物語性(叙事詩)が強く、楽曲形式も複雑で規則があるのに対し、単純な構造が主である。
元来、インド~ヨーロッパ語族、及びアフリカのバントゥー系には、所謂「Call & Responce(以下C&R)」の歌唱法が古くから発達していた。音楽研究者は語らないが、必然的にメソポタミア、古代エジプトにその原型が見られる筈。その末裔は、「バジャン~キールターン」から遥か西に至ったキューバの「ソン歌謡」にさえ見られる。「ソン」では、「叙事詩:ギア」を歌い、後半に「C & R」部分が来る。それには「主唱(雄鶏と呼ばれる)と合唱隊(コーラス:Coroと呼ばれる)」の他に「旋律楽器や太鼓のアドリブ・ソロ(Solo)とCoroの掛け合い」なども行われる。「ソン」では、この部分(キールターンに相当する)を「Montuno」と呼ぶ、
最も重要なことは、いずれも「リズムサイクル」に厳しく順ずる点である。末裔のひとつでもあるジャズの即興掛け合いも、それゆえに「4-Bars(四小節)」などと呼ばれサイズを揃える。逆に、リズムサイクルの理論を拡大解釈して、主唱者が2サイクルの様々な歌詞を歌い、合唱隊は1サイクルの定型詩だけで返す場合も少なくない。
創始期には、まだ楽曲形式が不定であったバジャンの末尾にキールターンが付加されていたと考えられ、キューバの「ソン」が、次第に「Montuno」が重視され(庶民が加わり盛り上がり易い為:大衆迎合)たことと同じように、「バジャン末尾」から乖離して独立した歌唱様式に至ったと考えることは容易である。インド文化にハマっている人々の中には「キューバの歌など関係ないだろう」と思う感情思考の人が少なくないが、「ものの有様とその源流」を論理思考で理解するには、「異なる派生の比較・類推」、「置き換え」と「二点測量」は不可欠である。
例えば、この先「キールターン・ブーム」が飽きられるとしたら、その単調性に他ならないであろうが、原点回帰し、「前唱歌~バジャン~キールターン」の様式を復活させれば、極めて意味深い説法と音楽が成り立つであろう。(現にUP州の春歌:ホリーやカジャリーには、そのスタイルが残っている)
元来のキールターンの詠唱には、宗派によって「九つの段階(場面)」や「五つの場面」があり、イスラム系神秘主義の中で音楽を重要視する宗派の祈祷システムに類似する。つまり、一般庶民に向けてバクティーを布教した際の「キールターン」の姿と、帰依者・献身者たちの内向的儀礼(秘儀も含む)の姿にはかなり隔たりがある、と見ることが出来る。いずれにしても、日本では後者の検証・学びはもちろん、一般への実践は難しい。
音楽的スタイルは、ベンガル地方のもの、北インドのものが有名であり、その他、シク教には独自なものがある。

しばしば「サン・キールターン」とも呼ばれるが、この場合の「接頭語:サン」は、「サ行」を参照されたい。
(※)また、「キールターン」の字義には「繰り返し」の他に、「語り、説法」の意味があるとされるが、派生的でもある。同源の「Krt」からは近代南インド古典声楽の「Kriti」も生じているが、ここには「繰り返し」や「C&R」の要素はなく、純然たる「ヴィシュヌ讃歌」である。

キルヴァーニ:
南インド古典音楽の旋法(ラーガ)のひとつ。アラブ・トルコのマカームのひとつと類似し、西洋人から「オロエンタル・マイナー」と称されるものと類似するため、1950年代末以降のインド音楽の海外演奏でお飲んで用いられ、やがて北インドの演奏家も起用するようになった。北インドの類似ラーガは、古代に衰退してしまった。

キンナラ:
天上の楽師。ブラフマン教後期に既に「アシュラ神群」に属する下級神の扱いを受け、後の仏教、ヒンドゥー教でも下級神。良くて精霊的な存在とされた。仏教では、他の下級神同様に「釈迦に詫び、懇願し仏法の守護を条件に存続した下級神:天部」とされ、音訳して緊那羅とされる。
本来、下級ではないにしても、上級紙の従者・眷属ではあったと考えられ、「ガンダールヴァ:天上の歌手」「アプサラ:天上の舞踊手」と共に、天上音楽の担い手であった。インドシナにも深く伝わり、後に小乗仏教に支配された後も進行が継承された。「キンナリ」とも言われ、寺院石彫に「キンナリ・ヴィーナ」という干瓢共鳴胴が1~2個の弦楽器が描写され、後の弦楽器ルードラ・ヴィーナの前駆型とされている。

カ行・ク

クッティー・カーラ
身分の低い音楽家を指す差別用語

クトゥ・ターン
旋律の即興的装飾法の一種。ジグザグ進行が激しい。難解なもののひとつ。

クリ:
太鼓変奏法の一種で「対句(掛け合い)の問いかけ部分」

クリヤー:
「機能、働き」のこと。

クリヤー・ヨーガ:
現代ヨガの一派。現代ハタ・ヨガ(Pistural-Yoga/体操ヨガ)とは異なり、精神ヨガ・瞑想ヨガに偏る。属する人々には、古代タントラ・ヨガからの伝統を引いているとされるが、確証はない。そもそも「Tantra」は、密教的な系譜のみではない上に、密教系タントラの中でも、後世広く知られた過激派ばかりではない。中世の「ハタ・ヨガ」の主流派は、その「密教系・過激派タントラ」に根ざしていたとされる。その中心的な教義に、特殊な瞑想法による「クンダリーニ覚醒」があり、現代クリヤー・ヨガは、その伝統を引いていると主張する。

クリシュナ:
ヒンドゥー三大神のひと柱「ヴィシュヌ神」の10の化身(Avatara)の八番目。人間と同じ姿で、色黒で表現される。七番目の「ラーマ王子」と共に、昔から庶民の人気が高い。二大叙事詩「ラーマーヤナ」ではラーマ王子が主人公で、「マハーバーラタ」では、クリシュナが助演(副主人公)。その他、クリシュナは「バガヴァド・ギータ(散文聖典)」で重要な役割を果たす。同聖典に於けるクリシュナは、禅問答のように様々な形で真理を示唆するが、後世にかなり加筆されたことが疑われ、現代、その原典の正しい形を知ることは難しい。
一方、クリシュナは、元来先住民族の神であったものがヒンドゥーに取り込まれたとも言われる。それ故、「肌の色が黒い」とされ、「クリシュナ=黒色」と説く派もある。その一方で、「シャーム=黒色」もまた、クリシュナのおびただしい「別名/徒名」のひとつに数えられる。
また、クリシュナは独自の神で、ヴィシュヌの化身とされる「マツヤ(半人半漁様)、クールマ(亀)、ヴァラーハ(猪)、ナラシンハ(半人半獅子様)」は「クリシュナの化身」と説く派もある。
前述の二大叙事詩と聖典の他にも豊富なクリシュナ神話があるが、大別すると
「生誕の物語」悪政王に苦しむ民衆がヴィシュヌに祈願し、「人間の子」として生まれると予言。それを知った王が、該当夫婦に生まれた新生児をことごとく抹殺。出産の瞬間に運び出されたのがバラ・ラーマ(ヴィシュヌの従者アナンタ竜王/蛇王の化身)と弟クリシュナと言われ、実父、養母も神格化に近い人気がある。
「乳幼児の物語」養母の目を盗んでギー(バターの類)を盗み喰うことから「マッカンチョール(バター泥棒)」の徒名を付けられた赤ん坊のクリシュナ。TV-Radioなどが無い時代、結婚前・出産前後のヒンドゥー女性のアイドルだったとも言われる。
「少年時代の物語」
羊飼いの少年として「ゴパール(ラ)」として、乳搾りの娘たち「ゴピ」との日々の物語。「ブランコ遊び」や「ホリー祭りの色水掛け」などが讃歌、劇、絵画の主題となる。「ゴピ・クリシュナ」の対句がある。
「青年時代の物語」
人妻のゴピ「ラーダ」との恋物語が極めて有名。「ラダ・クリシュナ」の対句が在る。
……………………..
「ゴピ・クリシュナ」と「ラダ・クリシュナ」の双方に共通のテーマが「笛吹き童子」である。竹の横笛「バンスリ」の別名「ムラーリ」を持つ男「ムラーリ・ダール」とも言われる。
このテーマは、古今東西に比較的多く散見され、「日本の笛吹き童子(Radio-Dramの原典はかなり古い)」「ハーメルンの笛吹き男(13cのドイツの実話?)」は特に有名。オスマン・トルコで準国境扱いを受けた神秘主義の一派では、縦笛「ネイ」が極めて重要で、「笛の音」は、或る種彼岸との交信器具(神器)とも言われる。トルコでは近代迄「笛は命を取る」と考えられ、「ひさしぶりだが、ずいぶんやつれたね」などの時に「笛吹きのようだね」という常套句があるほど。日本各地の竜蛇伝説では、笛の達人が池・沼に引きずり込まれる話は多い。実際、洋の東西で著名管楽器奏者が呼吸器疾患で早世した例も少なくない。古代インドのバラモンの菜食主義では「根菜」を食べず「竹」もまた「根と一体化(葉や果実ではない)している」として、食べず。「竹笛」も口に当てなかった(だから鼻で吹いた、という記述もある)と言われる。

クレーダカ・カパ:
「Tri-Dosha(Dhatu)」のひとつ「Kapha」の「副五要素」のひとつ。カパの総体は「留め・構築・基盤・安定・保存・接合・代謝」であるが、クレーダカ・カパは、特に「潤滑・潤い・溶解」の側面を似ない、ピッタの力で「分解・燃焼」された栄養素や、ヴァータとピッタで作り出された(副産物)不要物・毒素・老廃物を液化して処理(排出)する。例えば、クレーダカ・カパは、ピッタの「酸」と共同して「胃酸」となると同時に、「胃粘膜を更に保護する粘液」とも考えられている。広義には「唾液・涙」などの「粘膜保護液」や「関節潤滑液」などもクレーダカ・カパの働きによって分泌される。

クシャトリア:
一般に「カースト」と呼ばれる「四ヴァルナ」のひとつで、ブラフマンに次ぐ地位。神々が創作した「原人」の腕から生まれた人間たちとされる。武士階級としても知られ、二大叙事詩の時代に隆盛した。時代の符号からみても、「ブラフマン教・仏教」から「ヒンドゥー教」への流れには、王族・僧侶・貴族の権力から、地方豪族・武士階級への権力の移行が認められる。

クンダリーニ:
第一チャクラにあるとされる「エネルギーの根源」→クリヤー・ヨガ

クンティー:
弦楽器の糸巻

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。
本連載は、インドスピリチュアル・グッズweb-Shopのシーターラーマさんのご好意で長年連載を続けさせていただいております。皆様の応援も大きな支えです。少しでもお役に立てる内容がございましたら、ぜひ「いいね」の応援を下さいますよう。よろしくお願い致します。

この度、一年ぶりの若林の新著「日本の伝統楽器(ミネルヴァ書房:19年8月20日発売)」が出ます。
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「インドに関係ないじゃないか!?」と思われるかも知れませんが、無論、当書では書き切れませんでしたが、「日本の楽器→ルーツ(ペルシアとインド)」の物語の背景には、「Naga-Sadhu(裸形上人)」や「Saraswati(妙音天)派修行僧」などの活躍が大であるという解釈が存在します。機会を得る度に、その核心に迫って行きますので、どうぞ応援下さいませ。

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若林は現在、福岡及び近郊の方の「通いレッスン」の他に、全国の民族音楽・民族楽器ファンの方々にSkypeでのレッスンを実施しています。体験の為に、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」も行っています。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui(毎月の実施日時も掲載しています)」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

また、本連載コラムのテーマでも重要な、「現代人に大きく欠落している論理性」につきましては、論理力育成Mail-Lessonをご教授しています。
心と体の健康(本来のバランス力を取り戻す)の為に欠かせない。脳機能を本来の姿・力に戻すための講座です。ヨガ、瞑想、アーユルヴェーダ音楽療法の全てにとっても、極めて重要な基本です。論理力を高めると、世界観さえ変わって(むしろ神秘・スピリチュアルなことが、新鮮に敏感に深く理解出来るようになります)来ます。
更に、貴方の論理力を簡単にチェックする「論理力・無料Mail診断」を受け付けています。
お気軽にメールか、Facebookメッセージでお尋ね下さい。
chametabla@yahoo.co.jp 若林

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また、Hindu Chant講座Vol.1 https://youtu.be/_UPLRjMFFpo 「インド音楽旋法ラーガ・アンケート」https://youtu.be/wWmYiPbgCzg をはじめとした多くの「紹介動画」をYou-Tubeにアップしております。是非ご参考にして下さいませ。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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ヨーガ・スートラ第4章第26節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


तदा विवेकनिम्नङ्कैवल्यप्राग्भारञ्चित्तम्॥२६॥
Tadā vivekanimnaṅkaivalyaprāgbhārañcittam||26||
タダー ヴィヴェーカニムナンカイヴァリャプラーグバーランチッタム
その時、識別知の方向に傾き、独存に向かう。

簡単な解説:前節において、プルシャと覚の相違を知る人は、自己の存在に関してさまざまに思いを巡らすことがなくなると説かれました。本節では、その時、心は識別知の方向に傾き、プルシャが自分だけで存在する状態である独存に向かうと説かれます。

クシェーパナ・ムドラー

苛立ったり、悩んだり、疑ったり、日々を過ごす中で、ネガティブなエネルギーに支配されることはないでしょうか。
そうして抱え込んでしまうエネルギーは、私たちの心身やその周囲にも、さまざまな悪影響を生み出します。
このエネルギーを手放すことを助けてくれる、クシェーパナ・ムドラーと呼ばれるムドラーがあります。

クシェーパナには、手放す、解放する、放り出すなどという意味があります。
このムドラーは、私たちが抱え込むネガティブなエネルギーを放出し、ポジティブなエネルギーを受容する助けとなるムドラーとして知られます。

クシェーパナ・ムドラーでは、左右の手の平を合わせ、人差し指はまっすぐに伸ばしたまま、中指、薬指、小指はそれぞれ交差させて曲げ、手の甲で休ませます。
左右の親指も同じように交差させ休ませます。
または、最初に両手を組んでから、人差し指をまっすぐに伸ばすこともできます。
この手の形を、まっすぐに伸ばした人差し指が地面に向くように組むのがクシェーパナ・ムドラーです。
臥位で行う際は、人差し指が足先に向くように組みます。

親指は火、人差し指は風、中指は空、薬指は地、小指は水というように、5本の指には、それぞれ5元素の象徴があります。
クシェーパナ・ムドラーでまっすぐに伸ばす人差し指は、風を象徴します。
風は、自由に何かを動かし変化をもたらす性質であるヴァータの象徴です。

そして、一説に、頭頂から流れるエネルギーは、足を通して大地に放たれると伝えられます。
インドでは、尊者のエネルギーを受け取るために、その御足に触れ礼拝を行うことも少なくありません。

自由に動く風の象徴である人差し指をまっすぐに伸ばし、エネルギーが放出される足先(大地)に向けるこのムドラー。
その実践を通じては、抱え込んだネガティブなエネルギーを動かし、放出することができると信じられています。

時に変化を恐れる私たちは、手放すことができずに不必要な物事を抱え込んでいることが少なくありません。
そうして抱え込んだエネルギーを放出することで、思考や感情を浄化することができると信じられます。
それはまた、幸せに満ちた前向きなエネルギーを取り入れることを可能にしてくれるに違いありません。

(文章:ひるま)

※クシェーパナ・ムドラーは、カーリー・ムドラーとされる場合もあります。