シャニ神とハヌマーン神

行為の善悪に基づいて、私たちにさまざまな試練をもたらしながら、成長を促す惑星と信じられる土星。
その試練のあまりの過酷さに、人々から畏怖される土星は、シャニ神として崇められてきました。

厳格な師として崇められるシャニ神は、時に多くの苦難をもたらす存在です。
そんなシャニ神であっても、ハヌマーン神の帰依者だけには、決して悪影響をもたらさないと信じられることがあります。
このシャニ神とハヌマーン神の関係を見ると、試練を乗り越え成長するための道筋が見えてきます。

たとえば、スーリヤ神(太陽)に関する神話が伝わります。
父親であるスーリヤ神と仲が悪いシャニ神に対し、ハヌマーン神はスーリヤ神を師として学びを得ました。
ハヌマーン神がスーリヤ神にグルダクシナー(謝礼)をしようとした時、スーリヤ神はハヌマーン神の熱心な学びに満足し謝礼を遠慮するも、あることを頼みます。

スーリヤ神は、対話もできないほど仲が悪く、さまざまな試練を生み出す息子であるシャニ神に、その癖を直すように伝えて欲しいとハヌマーン神に依頼しました。
ハヌマーン神がシャニ神を訪れると、シャニ神はハヌマーン神の肩に乗り、ハヌマーン神を支配しようとします。
しかし、身体の大きさを自在に操る力を持っていたハヌマーン神は、突如、身体を大きく拡大しました。
肩に乗っていたシャニ神は、天井に挟まれ、苦痛に耐えられません。
ハヌマーン神の力に驚いたシャニ神は、ハヌマーン神の帰依者にはいかなる悪影響ももたらさないと約束をし、解放されたと伝えられます。

このスーリヤ神との神話以外にも、シャニ神は出会ったハヌマーン神の行動に救われることがありました。
ハヌマーン神は、ラーマ神を主として崇め、すべてを捧げるほどに深い愛と献身に溢れる存在です。
主を思い行動するハヌマーン神の勇敢で犠牲に満ちた精神は、山を動かすほどの大きな力を生み出し、あらゆる苦難を次々に払拭していきます。

物事の多くは、主を見失い、意志が弱まり、我欲にまみれる時、試練として降りかかります。
そんな試練に出会う時、ハヌマーン神のように行動をすることができれば、私たちは試練の意味に気づきながら成長する術を獲得できるはずです。

今年は6月3日の新月に、シャニ神の降誕祭であるシャニ・ジャヤンティが祝福されます。
試練を糧としながら成長できるように、この二人の関係に学びを深めたいと感じます。

(文章:ひるま)

ベーサン・チーラーのレシピ

ベーサン・チーラー(बेसन चीला)のレシピをご紹介いたします。

ベーサン・チーラーは、香辛料の効いた塩味のパンケーキとして紹介される一品です。ベーサン(बेसन)は、ひよこ豆の粉を意味します。オムレツのような仕上がりで、ベジタリアンのオムレツとして食されることもあります。手軽に作ることができ、朝食にも好まれます。

ベーサンは、お菓子などにも用いられ、インド料理には欠かすことのできない食材です。ベジタリアンが多いインドでは、こうした豆を用いた料理が多くあり、貴重なタンパク源として食されます。

★ベーサン・チーラー★

【材料】
・ベーサン:1カップ
・トマト:小1個(細かく刻んでおく)
・オイル:大さじ2〜3
・コリアンダー・リーフ:大さじ2(細かく刻んでおく)
・生姜:一片(すり下ろす)
・塩:小さじ1/3
・レッドチリパウダー:1〜2つまみ
・グリーンチリ:1本(細かく刻んでおく)

【作り方】
・ベーサンがダマにならないように、水を少しずつ加えながらよく混ぜる(水は1カップほど)。
・生姜、塩、レッドチリパウダー、グリーンチリ、コリアンダー・リーフを入れて混ぜる。
・生地を5分ほど置いてなじませる。5分ほど置いて生地が固いようであれば、水を少し加える。
・(刻んだトマトを入れて混ぜる。トマトはお好みで、加えなくても良い。)
・フライパンをしっかり温め、オイルを引く。
・生地をフライパンに流し入れ、薄く丸く伸ばす。
・伸ばした生地の上に、まんべんなく油を少し垂らす。
・少し色が変わるまで焼き、裏返す。
・きつね色になるまで両面をよく焼く。
・出来上がったら、チェツネやソースと一緒に頂く。

※トマト以外にも、お好みの野菜を加えることができます。

ベーサン・チーラーの作り方は、以下の動画が参考になります。

スタッフ日記:ケーララ豪雨災害の支援状況について

ケーララ豪雨緊急災害支援募金にご協力をいただいている皆様、温かいご支援をいただき誠にありがとうございます。
過去100年間で最悪の被害が報告された豪雨災害から、8ヶ月が過ぎました。
最近の支援の状況を、ご報告させていただきます。

現在、インドの各地では1年の中でとりわけ暑い時期が続いています。
4月から6月のもっとも暑い時期を過ぎると、南からモンスーンが始まり、少しずつ北上していきます。
ケーララ州は、インドの中でもっとも早くモンスーンが始まる地域となり、通常は5月の下旬から6月の上旬に始まります。
今年は少し遅れるのではないかと予報が出ていますが、モンスーン前の雨が降ることもあり、暑さと水不足が続く現在にとって、恵みの雨となっています。

支援活動では、田んぼの復興作業に力を入れていましたが、稲の収穫が終わった後は、鶏小屋の支援を中心に活動を行ないました。
貧しい人々は、卵やミルクを売って収入を得られるように、以前より鶏小屋や家禽などを所有していましたが、豪雨災害によって失った人が多くいます。
限られた土地しか持つことができない貧しい人々にとって、鶏などの小さな家禽は大切な存在です。
鶏小屋の支援について地域に案内を出したところ、応募は146個分にもなりました。
今回は5月4日に配給を行い、24個を配ることができました。

9月に改めて行うことを計画しており、次回は25個を目標にしています。
鶏小屋の製作には、木材を乾燥させる必要や、外での作業が必要になるため、これから雨が多くなるモンスーンの時期には作業ができません。
モンスーンの雨が落ち着いた頃に製作を開始できるよう、計画を進めています。
鶏小屋は、1個あたり、6000から6500ルピー(約10000円から11000円)となります。
申し込み者全員に鶏小屋を支援する予算や作業スペースがなく、現在は対象者を選ばなければならない状況ですが、特に必要としてる人々を中心に支援を行なっています。

豪雨災害以降、生活必需品の配給に始まった活動は、住居や地域の清掃や補修に続き、現在はこうしたマイクロビジネスの支援と、皆様の温かいご支援を通じ着実に進んでいます。
しかし、豪雨災害によってすべてを失った人々も多く、今後も支援が必要となります。
人々の生活に寄り添いながら、必要とされる支援を見出し、皆様のご支援をより適切な形で活用できるよう努めていきたいと思います。

いつも温かいご支援を頂き、改めまして心より御礼申し上げます。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

(スタッフ:ひるま)

178、アーユルヴェーダ音楽療法入門40(用語辞典:ウ-2-)

ウダーハラーナとウパニャーヤ:
ヴェーダ検証論に於ける「中因と再確認」。「物事の因果」「病気の原因と表出」「生命体の恒常性」などは、全て「宇宙原理」に矛盾しない(相似性/シンクロ/リンク)。それを確認し、人間社会と個々の人間の「身体と精神・思考・心」の状態の「宇宙摂理との整合性・バランス」を確認(し不整合を正し本来のあるべき健康な状態に是正する)ヴェーダ検証論では、次の手順で検証を行う。

まず「A:現象の認証(Pratijnya)」を行う。次に「B:原因(Hetu)の仮定」を行う。これはアーユル・ヴェーダの「ウパシャヤ(検証治療)」を導く。次に、仮定された「原因」と「相性の良い・必然性がある・一貫性がある「C:表出(具現/結果/中因:ウダーハラーナ)」を確認する。その際、「B:と関係性が得られないC’の結果」も同時に検証する(現代人にはこれが完全に欠落している)。これが「ウパニャーヤ」である。それによって、初めて「D:結論(Nigamana)」が導かれる。したがって、「ウパニャーヤ」によって、当初仮定・想定された「C」とは、異なる性質の「C’」「C’’」などが得られた場合、「A」に立ち戻って、新たに「B’」を想定せねば、「正しいD」には至れないのである。

例えば「発熱・下痢・嘔吐・頭痛」などの「A」を確認した後「炎症:B」が疑われ、それが確認されたからと言って、「C」は「外因(細菌、ウィルス、外からの衝撃)」ばかりではなく「アレルギー、自己免疫機能不調」も在り得る。また「第五段階:アレルギーや自己免疫機能不調」は、「第四段階:基礎体力低下」が発した「SOS」であるとしたら、そこには「第三段階:恒常性機能・自然治癒力の根本的な不調」があり、その要因には「第二段階:精神性(被害者意識や自意識過剰)」があり、それを導き増徴させた元凶には「第一段階:思考力・脳機能のアンバランスな稼動」を考えねばならない。数百年、「局所対処療法(上記第五段階の対応ばかりだった)」に偏っていた西洋医学も、近年では、上記:第三段階迄は遡って検証する方向性にあるが、第二・第一段階までは考えようとしない。
これは「火の無いところに煙は立たない」のような短絡的で安直な思い込み・決め付けの精神性と価値観・真偽判断を「正当」と思い込んでいる観念依存が元凶である。

ウカル:
古典声楽のスキャット唱法で、「ウ」の発音だけで即興を繰り広げる技法。

ウパマーナ:
ヴェーダ認識論に於ける「類推・比較論」。ニヤーヤ学派では、「アヌマーナ:推論」と対峙すると説かれる。ウパマーナの検証・認識には、必ず「比較対象」が必要。つまり、物事の是非、真贋、審議、高位か下位か?有益か無益か?などには「物差し」と比較・類推が伴い、ここに「観念論」が膨大に介入する危険がある。

「樹木論」で説けば、「枝葉領域」に於ける「二者択一」という近現代の人間社会を支配している偏った思想・価値観・観念に一致し事実具現されている。この結果「十を聞いて、都合の良い、ピンと来た、耳に優しい一二を拾う」という感覚・価値観・審美眼が定着し、これに依存する人間が急増した。

これに対し「根っこ・幹・太枝」に重きを置きつつ枝葉の多様性と価値を認める「論理的な価値観」は、「一を聞いて十を知る」という宇宙観が在る。これが「アヌマーナ」の世界であり、ウパマーナが「これとこれのどちらを選ぶか?」という「二者択一論」であり、本質的に「社会的排除」を導くのに対し、「アヌマーナ」は、「これとこれがあるならば、他にもあれがあるに違いない」という「推論」の世界であり、その価値観と視野は「森羅万象」を俯瞰(感じる)し、「社会的包摂」につながる。

ニャーヤ学派では、「アヌマーナ」の基本構築の後に「アヌマーナ」の現実論・合理性の価値が説かれるが、現代社会は、「アヌマーナ」を欠いた「ウパマーナの感情論」に偏っている。その結果、「アヌマーナ」では、脳機能が全体的にバランスを保って機能・活性化するのに対し、「ウパマーナ」では、偏って部分だけが活性化し、「身体と精神のアンバランス」にも繋がり、様々な不調(病気)の元凶になっている。

ウパ・ヴェーダ:
ブラフマン教の聖典であり、科学の源泉であり、叡智(タントラ)の埋蔵庫である「ヴェーダ」に則して後世に補われた「副読本」「解説書」。「派生」の性質の強いものもあれば、後世恣意的に加筆されたものも少なくなく、真贋見極めの論理力が強く求められる。

ウパ・プラーナ:
ヴェーダがブラフマン教の叡智から生じたのに対し、プラーナは、ヒンドゥー教義の正当性を説く意図が濃厚である。その副読本・解説書であるプラーナの中には、是正・改善の意図が見られるものも少なくないが、逆の恣意的な書き換え・加筆も少なくない。また、ブラフマン教とヴェーダには、教条主義的傾向が少なくないが、プラーナとウパ・プラーナには、大衆迎合性が少なくない。

ウパニシャド:
ヴェーダを更に深く検証した「奥義書」とされる。
「ウパニシャド」と「ウパ・ヴェーダ」の本来の根本的な違いは、後者が、読み手本位で書かれているのに対し、前者は、読み手の理解をむしろ破壊するような性質がある。日本で戦前から言われている「奥義書=禅問答のようである」という解釈は、その性質から生じている。

この性質は「ウパニシャド」の字義に明確に現れている。一般に「ウパ(近くに)ニシャド(座る)」と解され、弟子が師匠と向かい合う禅問答の姿を意味していると説かれる(故に)が、これは表層的な解釈である。(むろんこれもあるが、これだけではない)

「Nishad」は、インド(科学音楽~)古典音楽の「ドレミ」の「シ」の名称でもある。字義には「座る」の他に「止まる・留まる」の意味もある。科学音楽の後にガンダールヴァ音楽(布教のための聴衆向けのパフォーマンス)が隆盛した時代(紀元前後)に、「ヴェーダ回帰主義者」が、「ドレミ(Srgam)は、ヴェーダ詠唱法(単音から二音、そして三音に発展した)にある」と説いた。一般にそれこそが「ドレミ」の発明であり、声のKeyが異なる僧侶が高い声で「ソラシ」で詠唱し、中間音「ファ:Madhiyam=印欧語族のmedium」を入れて「ドレミ」が完成したと説く。しかし事実の「三音詠唱」は、「シドレ」であった。
「ヴェーダ回帰主義者の旋法ヴェーダ起源説」は、このことで脆くも崩れ去る。

試しに「ドレミファソラシー」と「シ」で息の続く限り「シ」を伸ばし、息が切れた後、十数秒間を空けて「ド」を歌ってみて欲しい。同様に「ミレドシー」と「ドより低いシ」に至り、伸ばし、間を空けてから「ド」に至ってみて欲しい。「ヴェーダ唱法のアヌダッタ」と「シ=Nishad=留まる」という意味の奥深さが理解されることであろう。

「師の教えを請う」という「受動的発想・価値観・精神性」は、言わば「安直に楽に答に辿りつきたい」という姑息な精神性でもある。確かに(一般に説かれているように)、「ウパ(近くに)ニシャド(座る)」は、「(答を求めて)ウパ(師の近くに)ニシャド(寄り添い座り、答を得る)」という行為である。しかし、ウパニシャドは、それを否定・拒絶した。師は「答をくれない」のである。
敢えて幼稚な比喩をするが、「ウパニシャッド(という言葉)のより深い解釈」は、「Nishad=立ち止まって考えることに+Upa=副え」ということであり、弟子(読み手)に対し、前述した「ウパニャーヤ:再確認/再考」を指導・要求しているのである。

殆どの現代人は、現代(と言っても、長くは数百年前から、近くは1980年代からのことだが)社会風潮の「情報至上主義」を追認している。それは、かつて中国共産党指導者のひとりが「鼠を良く獲る猫が良い猫だ」と言った感覚・精神性・価値観と同じである。「これを知っておけば大丈夫=分かったことに出来る=分かった気になれる」という「情報」が、「良い情報・正しい情報」であるとしか考えず、他を求めず、むしろ他は否定される。

言い換えれば「考えさせる=思考領域を活性させる=Upa-Nishad」に主眼を置いた「情報・教育」は殆ど存在しない。当然のごとく、「現代的価値のある情報(安直に正解を得たと思わせるだけの)」は、思考力を低下させ、心身全体の本来の姿を破壊させ、様々な心身の不調を招くだけでなく、そのような人間の集合体である社会をも脆弱化→形骸化→崩壊させる。

「ウパニシャド」は、「奥義書」と訳されるとともに「ヴェーダーンタ=究極のヴェーダ」とも言われるが、上記の意味を論理的にご理解下さったならば、「ヴェーダの先(奥)=後に読む」ではなく、むしろ「入門書」であるべきことがご理解いただけるであろう。また、バガヴァド・ギータに於けるクリシュナの語り(説法)も、かなりウパニシャドである。いずれにしてもこれらは、現代人・現代社会に最も欠落している感覚を教えてくれる。今、最も学ぶべきもののひとつではないだろうか。

ウルドゥヴァ・ローカ:
基本三世界(ローカ)の「天界」「地上界」「地獄界」の「地上界(人間・生物界)」のこと。

ウスタード:
イスラム教徒の師匠に対する敬称。アラビヤ語の「先生」だが、インド・パキスタンで最も用いられ、アフガニスタンで7割~8割。アラビヤ、トルコでは滅多に着けられない。つまりそれらの国々ではかなり著名でないと着かないが、インドでは、ムスリム音楽家ほぼ全員に着ける。ちなみにヒンドゥー教徒の場合はパンディットだが、音楽家でなくても医者、教師、弁護士にも着けられ得る。音楽家の場合、ウスタード同様、ほぼ全員につけられる。更にちなみに、スワミーとバグワンは、出家僧侶で、ヨガ・瞑想がある段階以上に到達し、更に悟りの境地に至った聖者を意味し、スワミーは南インドで多く用いられ、バグワンは北インドで多く用いられる。しかし、昇級・昇段資格や試験が在る訳でもなく、自称し、他称する弟子が多ければ成り立ってしまう。これらの敬称は、家庭内、修行所内(弟子同士)では、以下の名前を言わずに敬称だけで会話される(家族的な結束心の顕示)が、外に出てもそれを貫くのは60年代後半の欧米ヒッピーとその後の日本人だけ。「スワミー、バグワンと言えば世界に○○のことだ」の(弟子自身の)自尊をひけらかしているに過ぎないと、現地インド人はそれを観て内心嘲笑している(当然、師の品格も下がる)。外ではむしろフルネームが敬意の現れで、部外者にも好感を持たれる。

ウッタル:
サンスクリット由来の日常的なヒンデゥー語で「北」の意味だが、ヴェーダ関連(科学音楽→古典音楽を含む)の様々な用語に現れる。例えば、インド占星術(ジョティーシュ)の中の古い解析法で用いられる「ナクシャトラ(27-29宿)」は、12星座に適応する際に、必然的に時間・天空座標・12宮とズレるためにまたぐことになる。その中の三種の星宿に「ウッタル○○」と「プールバ○○」の名がある。この三種は同じ名称にウッタルとプールバの冠詞(形容詞)が着くということだが、「北」「東」を意味していない。
それは、「ウッタル(北)」と「プールバ(東)」が、「上」と「下」という観念に通じているからである。

例えば、インド旋法:Ragaは、「ドレミ(ファ)」と「(ファ)ソラシド」の上下の部分(テトラコルド/ペンタコルド:Anga:部分)に分割され、それぞれの性質の合体で旋法全体の性質を説く。その際「ドレミファ(下のテトラコルド)」を「プーラブ・アンガ」、「ソラシド(上のテトラコルド)」を「ウッタル・アンガ」と呼び、「ニーチェー(下の)・アンガ」「ウパル(上の)・アンガ」とは言わない。

これは「ヴァーストゥ(インド方位/風水)」にも共通する観念であり(ヴェーダ及びタントラの叡智は、実に総合的だ)、二つの性質の異なる運気の流れ「北→南」「西→東」の観念が反映され、物理的・現象的な「上下」ではない、形而上の「上下」が、ジョティーシュにも科学音楽にも現れているのである。

故に、ジョティーシュの性格判断でもアーユルヴェーダ音楽療法でも、ブーラブ・ウッタルは、「東・北」ではなく、「形而上の上下」で語っている。「プーラブ(受け皿・受け手系)=享受性・寛容性が豊かだが、貪欲、丸呑み込み、整理整頓が苦手、溜め込む」「ウッタル(発信側・発散側)=豊か・心が広い・博愛的だが、詰めが甘い・細部や結果に無頓着」などの傾向があると説かれたり、「プーラブ(旋法の基音に副う)=落ち着いているが発展性が無い、追認主義に陥りやすい」「ウッタル(旋法の属音に副う)=快活で外交的だが、落ち着きが無い」などの傾向があると説かれる。当然「プーラブ」は、「カパ気質」に偏りがちであり、「ウッタル」は、「ピッタ気質」か「カパ気質」の両極端に至り易い。それは「流れの滞り」が元凶であり、「Vata力」が欠如している場合である。

ウターオー:
叙情歌・キルターン・バジャン・一部の民謡などで、太鼓が歌い手に歌い出しを教える太鼓フレイズを入れること。古典声楽には無い。

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。
本連載は、インドスピリチュアル・グッズweb-Shopのシーターラーマさんのご好意で長年連載を続けさせていただいております。皆様の応援も大きな支えです。少しでもお役に立てる内容がございましたら、ぜひ「いいね」の応援を下さいますよう。よろしくお願い致します。

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若林は現在、福岡及び近郊の方の「通いレッスン」の他に、全国の民族音楽・民族楽器ファンの方々にSkypeでのレッスンを実施しています。体験の為に、インド楽器とVedic-Chant、アーユルヴェーダ音楽療法の「無料体験講座」も行っています。詳しくは「若林忠宏・民族音楽教室」のFacebook-Page「Zindagi-e-Mosiqui(毎月の実施日時も掲載しています)」か、若林のTime-Lineにメッセージでお尋ね下さい。 九州に音楽仲間さんが居らっしゃる方は是非、ご周知下さると幸いです。

また、本連載コラムのテーマでも重要な、「現代人に大きく欠落している論理性」につきましては、論理力育成Mail-Lessonをご教授しています。
心と体の健康(本来のバランス力を取り戻す)の為に欠かせない。脳機能を本来の姿・力に戻すための講座です。ヨガ、瞑想、アーユルヴェーダ音楽療法の全てにとっても、極めて重要な基本です。論理力を高めると、世界観さえ変わって(むしろ神秘・スピリチュアルなことが、新鮮に敏感に深く理解出来るようになります)来ます。
更に、貴方の論理力を簡単にチェックする「論理力・無料Mail診断」を受け付けています。
お気軽にメールか、Facebookメッセージでお尋ね下さい。
chametabla@yahoo.co.jp 若林

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また、Hindu Chant講座Vol.1 https://youtu.be/_UPLRjMFFpo 「インド音楽旋法ラーガ・アンケート」https://youtu.be/wWmYiPbgCzg をはじめとした多くの「紹介動画」をYou-Tubeにアップしております。是非ご参考にして下さいませ。

(文章:若林 忠宏

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若林忠宏氏によるオリジナル・ヨーガミュージック製作(デモ音源申込み)
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さまざまな問題や心配事を緩和するシャニ神の千の御名

神の言語であるサンスクリット語による祈りは、精神的・肉体的な問題を癒すヒーリング・サウンドとして作用し、人々の願望や、魂の欲求を満たすことができると信じられています。その一つに、土星の神であるシャニ神を讃える千の御名(シャナイシュチャラ・サハスラナーマ)があります。

シャナイシュチャラ(サンスクリット語で、ゆっくり動くものの意味)は、恩寵を与える者、そして破壊する者の両側面があることで知られています。スーリヤ(太陽)とチャーヤー(スーリヤの侍女、影の意味)の間にできたシャナイシュチャラ(土星)は、9惑星の中でも、もっとも恐れられています。それは、生涯にわたり、人々の幸福を左右する存在であるとされているからです。しかし、シャナイシュチャラへの祈りは、さまざまな問題や心配事を緩和する力があります。

インド占星術では、土星は、注意力の欠如や無知をあらわしています。そして、長寿、不幸、悲哀、老化、死、規律、制約、責任、遅延、野心、リーダーシップ、権威、謙そん、実直、英知などのカーラカ(指示体)、また禁欲生活、拒絶、無執着、霊性、苦行、組織、現実、時なども示しています。

ホロスコープ上で、土星が他の惑星とどのような関係を持つか、どのような位置にあるかで、人の一生を通じて影響を与えつづけると信じられています。シャナイシュチャラは、各ラーシには2年半滞在します。ホロスコープ上において、出生時の月の位置を第1室とした場合、第12室、第1室、第2室を土星が通過する期間は、ナートゥ・シャニと呼ばれ、それは7年半続きます。また第4室にあるときには、アルダーシュタマ・シャニと呼ばれ、第8室にあるときには、アシュタマ・シャニと呼ばれます。このような期間は、問題に直面しやすい時期であるとされています。
一生涯において、7年半続くナートゥ・シャニはおよそ3度巡ってきます。最初のサイクルはマング・シャニと呼ばれ、本人よりもむしろ近親者に影響があるとされます。第2サイクルはポーング・シャニと呼ばれ、家庭内や事業面での影響があるとされます。第3サイクルは、マーラナ(死)・シャニと呼ばれ、子供、家族、健康面に影響を与え、本人の死を意味することもあります。
そして政治問題、配偶者、子供、ビジネスの後退、財産の損失、病などは、土星のトランジットによって引き起こされます。

しかし、シャナイシュチャラは、有益なグラハ(惑星)です。なぜなら、困難なくして成就はありえず、そしてまた、どのような困難であろうとも、心からの祈りによって克服することができるからです。シャニ神の祈りに耳を傾け、その力に触れることで、さまざまな問題や心配事を緩和することができるでしょう。

第47回グループ・ホーマ(ブッダ・プールニマー)無事終了のお知らせ

第47回グループ・ホーマ(ブッダ・プールニマー)にお申込みいただきました皆様、誠にありがとうございました。

仏陀を礼拝する、第47回グループ・ホーマは、5月18日に無事に終了いたしました。

プージャーの写真を以下に掲載させていただきます。

神々の祝福と、より良い体験がありますよう、心よりお祈り申し上げます。

第47回グループ・ホーマの実施内容はこちらよりご覧いただけます。

ヨーガ・スートラ第4章第14節

Hindu God Yoga Sutra of Patanjali Statue on Exterior of Hindu Temple


परिणामैकत्वाद्वस्तुतत्त्वम्॥१४॥
Pariṇāmaikatvādvastutattvam||14||
パリナーマイカトヴァードヴァストゥタットヴァム
対象物の自己同一性は、転変の単一性による。

簡単な解説:前節において、過去、現在、未来という状況により生じる特性は、現在に顕現している状態であれ、顕現していない過去未来の状態であれ、すべて3つのグナを実体としていると説かれました。本節では、グナは3つ存在するが、それが三者一体の転変をすることにより、対象物は一つの物事として顕現すると説かれます。

過去世で唱えていたマントラ??

インドの伝統的な考え方によれば、人間は何度も輪廻転生しやがて人間から卒業するとされています。
生まれ変わっても前世のことを覚えていないのが一般的ですが、人によっては覚えていたりすることもあるようですし、瞑想体験を積み重ねることによって、副次的な効果の一つとして見えてくることもあります。

人生において打ち込んだ行為が、潜在意識に深く刻み込まれるとしたら、ある生で一心不乱にマントラを唱える生活を送っていた人は、次の生でもそれを全部、あるいは断片的に覚えている、ということがありうるかもしれません。

実は私ガネーシャ・ギリも、初めてムリティユンジャ・マントラを学んだ時に、断片的にそれを覚えていて、驚愕した記憶があります。
今ほどインドのマントラの情報が溢れていなかった時代でしたので、今生でどこかで聞いていたということはかんがえづらく、やはり過去世で獲得したものなのかもしれません。
ここシーターラーマで様々なアイテムを吟味するなど、普段からインド精神文化に興味のある皆さまの中には
やはり過去世でインドに生き、その時に学んだマントラを覚えておられる方がいらっしゃるかもしれません。
あるいは、覚えていないまでも妙に親しみを感じるマントラがあるかもしれません。

そうしたものが、本当に過去世に記憶によるものかそうでないか、真偽はわかりませんが、
いずれにしましても、そのマントラがご自分にとても合っているマントラである可能性は大いにあると考えられます。

ぜひ大切にして今生でも唱えていかれたらいかがでしょうか?

(文章:ガネーシャ・ギリ)

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ガネーシャ・ギリ氏共著 『インド占星術と運命改善法』

ガネーシャ・ギリによるインド占星術鑑定

ガネーシャ・ギリによるヨーガクラス
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満たされない器

空虚であったり、渇望であったり、どこか満たされない気持ちは、誰しも一度は経験することかもしれません。
息が詰まるようなそのやり場のない思いの中で、学んだ話があります。
ヴィシュヌ神を心から愛する聖仙、ナーラダの話でした。
ナーラダ仙は、数々の聖典をこの世に伝える、重要な聖仙の一人に数えられます。

ある時、ナーラダ仙は器を手にした一人の物乞いに出会い、話しかけられます。
「今日は何も得ることができませんでした。どうか、この器を満たしてください。」
ナーラダ仙は、物乞いの器を満たしてくれるよう、財宝の神であるクベーラ神へ手紙を書き、物乞いに渡しました。

物乞いは喜んでクベーラ神を訪ね、ナーラダ仙の手紙を渡します。
聖仙の手紙に喜んだクベーラ神は、物乞いの器を満たすよう従者に伝えました。
従者は、ありとあらゆる財宝を器に入れるも、器はいっぱいにはなりません。

ナーラダ仙は、器をよく観察するように伝えます。
その器は、人間の頭蓋骨でした。
目や耳や鼻や口の部分に穴が開いており、いくら財宝を満たしも、いっぱいになることはなかったのです。

物質という肉体を持って生まれた私たちは、始まりがあり、終わりがある時の中で生きています。
そこには、見えるもの、聞こえるもの、匂うもの、味わうもの、こうした感覚から生み出される変化に富んだ喜びが溢れます。
その感覚のもたらす刺激的な喜びを求めて動き回る心は、自分自身の本質である不変の喜びから私たちを遠ざけていきます。

限りある物質に執着している限り、私たちは決して、満たされることはありません。
物乞いの満たされない器は、そうして苦悩する私たちの姿を映し出しているようです。
その器は、自分自身の本質である永遠の魂に気づき、満ち足りた自分に喜ぶことの意味を教えてくれたように思います。

ナーラダ仙は、さまざまな話を通じて、時に難解な教えを親しみやすく伝え続けます。
そんなナーラダ仙が降誕した日として崇められるナーラダ・ジャヤンティが、2019年は5月20日に祝福されます。
迷いが消え失せるような教えの数々を胸に刻み、日々を歩み続けたいと感じます。

(文章:ひるま)

クールマ・ジャヤンティ2019

2019年5月18日は仏陀の降誕祭が祝福される一方で、クールマ・ジャヤンティが祝福される慣習があります。

クールマ・ジャヤンティは、ヴィシュヌ神の2番目の化身であり亀神として崇められるクールマ神の降誕祭にあたります。ヴィシュヌ神がこの亀の姿となった理由は、ヒンドゥー教の創造神話である乳海撹拌に秘められています。

大昔、悪魔との戦いに敗れた神々は、力を取り戻すためにアムリタを得なければなりませんでした。そして神々はヴィシュヌ神の働きかけの下、悪魔たちと協力をしながらアムリタを作り出すために乳海撹拌を行うことになります。

あらゆる薬草を海へと投入し、マンダラ山に大蛇ヴァースキを絡ませ引っ張り合うことで海を撹拌しアムリタを生み出します。神々を助けようと働きかけるヴィシュヌ神にとって、この作業は非常に骨の折れるものでした。

マンダラ山が海に沈まぬよう、ヴィシュヌ神は大亀クールマとなりその上に山を乗せます。そして絡ませた大蛇ヴァースキを神々と悪魔引っ張り合いました。

アムリタを含め、多くの物が産出されたこの乳海撹拌において、幸運を運ぶラクシュミー女神もまた誕生し、後にヴィシュヌ神の妻となります。

悪と戦う神として化身することが多いヴィシュヌ神の姿の中で、クールマ神は他を支え救うために姿を現します。亀はヴィシュヌ神の象徴である維持や保護そのものであるとも伝えられ、妃であるラクシュミー女神と共に崇められることも多くあります。

参照:http://en.wikipedia.org/wiki/Kurma