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雑記帳

平安の夜

束の間の過ごしやすい春を迎えている北インドにおいて、シヴァ神を讃える最も吉兆な夜を過ごし、改めて心を神に向け定めることの大切さに気付かされたように思います。
マハーシヴァラートリの夜、ここでは多くの敬虔な人々が、そして霊性修行に励む人々が一晩を通じ眠らずに食を断ち、賛歌を捧げ、祈り瞑想に努めていました。自我を捨て誰もが同じものに心を定めた春の夜、あらゆるものが一つになった空間が生み出すその平安と穏やかさに、神聖なものとの美しい繋がりを深く感じていたことを思い出します。
人々の多くが睡眠を断ち、食を断つ行いを努めているとは感じることができないほどに、その空間は穏やかなエネルギーに満ちていたように感じます。それらが至上者の為に捧げられるとき、睡眠を断つことも、食を断つことも、決して苦とはならないのかもしれません。
至上者との一体を阻む感覚を制御することは、ヨーガの世界においては大きな修行と位置づけられます。しかし、心を神に定めることで、外界の世界へと向かう感覚はその対象から必然的に離れていきます。感覚を制御しようと試みなくとも、至上者に全てが差し出された時、それはただ従う存在へと変わるのかもしれません。そしてその過程において、自分自身の内に在る純粋な存在を見つける瞬間が必ずあるのだと実感します。
早朝から体を清め、食を断つ一日は、確実にこの肉体を浄化していきます。そして祈りや瞑想、神の名を唱えることによって感覚から切り離された心からは様々な疑いや迷いが排除され、平静のみが残ります。完全なる浄化が行われ、一つのものと繋がった夜、世界がまるで清められたかのように、平安に包まれていたことを改めて思い起こしています。
日々の生活の中で、身体や心が乱されることは多くあることです。こうして訪れる吉兆な時が、心身をともに浄化し、静める時となること、その叡智が今でもしっかりとここで生きていることに改めて魅了されています。様々なことが変化を続ける社会においても、やはり絶対の存在と共に在る事象は、変わることがありません。時を超えて受け継がれるこの叡智の存在に心身ともに清められ、新たな季節を迎えようとしています。
(文章:ひるま)

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