明るい春の訪れにその降誕が祝福されるサラスワティー女神は、言語の女神として崇められる女神です。
そんなサラスワティー女神は、一日のある時にだけ、私たちの舌先に座ると伝えられてきました。
そして、その時に発せられた言葉は、どんな言葉でも必ず真実になると伝えられます。
それ故、私たちはどんな時も、正しい言葉を発することを努めなければなりません。
叙事詩のラーマーヤナにおいてラーマ神が倒した羅刹には、この俗伝にまつわる興味深い神話が伝わります。
羅刹の王であるラーヴァナには、クンバカルナとヴィビーシャナという兄弟がいました。
3者はブラフマー神への大変な苦行を行い、その苦行に喜んだブラフマー神はそれぞれに恩恵を授けようとします。
その恩恵として、クンバカルナは神々の座を要求しようとしていました。
神々は、羅刹であるクンバカルナがその座を手にすることに懸念を抱き、ブラフマー神の妃であるサラスワティー女神に働きかけを行います。
すると、サラスワティー女神はクンバカルナの舌先に座りました。
それは、クンバカルナが手にしたい恩恵をブラフマー神に伝えようと、神々の座である「インドラーサナ(インドラの座)」と答えようとしていた時でした。
しかし、クンバカルナはサラスワティー女神の力によって、「ニドラーサナ(眠りの座)」と答えてしまいます。
すると、ブラフマー神はその願いを聞き入れ、クンバカルナは6ヶ月間も眠り続けるようになったと伝えられます。
私たちの内には、ラーマ神に見られる善の質と、羅刹に見られる悪の質があるといわれます。
肉体をまとい揺れ動く性質の心を持つ私たちは、その内で時に悪の質が優勢になり、羅刹に支配されることも少なくありません。
悪の質を眠らせ、善の質を高めるためにも、私たちはサラスワティー女神に祈りを捧げ、その力を自分自身のうちに確立する必要があります。
そうすれば、悪の質が優勢になりそうな時でも、常に明るく正しい道を行く力を得ることができるはずです。
光が満ちていく春の到来は、サラスワティー女神の力に繋がる吉祥の時です。
この時に心の闇を追い払うサラスワティー女神への祈りを捧げ、明るい光を内なる世界に満たしたいと感じます。
皆様にもサラスワティー女神の大きな恩寵がありますように、心よりお祈り申し上げます。
(文章:ひるま)
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