自己を犠牲にし、主を思い続けることで苦難を乗り越えていく。そんな強さが象徴の美しい女神がいます。ヴィシュヌ神の7番目の化身であるラーマ神の妃であり、ラクシュミー女神の化身とも言われ、高潔さや純真さの象徴として崇められるシーター女神です。
大地の女神であるブーミを母に持つシーター女神の名は、「畝(うね)」という意味があり、畑の畝の間から生まれたと信じられています。土地の肥沃さや農作における豊穣の女神として崇められるも、ラーマ神の妃として生きたシーター女神の生涯は苦難に満ちたものでした。そんなシーター女神と、母なる大地ブーミ女神との繋がりは、日々を生きる私たちにとって大きな気づきを与えてくれるものです。
シーター女神は、追放されたラーマ神と共に王国を離れ深い森で暮らすも、茨が裸足に刺さるほどの厳しい暮らしの中で、魔王ラーヴァナに誘拐され、ランカー島へと連れ去られてしまいます。ハヌマーン神の助けもあり、救い出されたシーター女神はラーマ神と共に王国へ戻るも、国民から貞潔を疑われ、ラーマ神も苦渋の末、シーター女神を再び追放します。シーター女神は、誘拐されていた間もラーマ神を瞑想し続け、純潔を守り通していました。
再び追放された時、既にラーマ神の双子の子を宿していたシーター女神は、聖仙ヴァールミーキの保護の下、森の中で二人の子どもたちを生み育て上げます。その後、子どもたちが自分の子であると気づいたラーマ神は、子どもたちを受け入れ一体となりました。
自分自身の義務を終えたと感じたシーター女神は、もうこれ以上、不公平で悲しみに満ちた世界にはいられないと、母なる大地の女神ブーミに慈悲を求めます。すると、大地が割け、ブーミ女神はシーター女神を抱いて消えていったと言われます。
どんな苦難においても平穏と尊厳を失うことがなかったシーター女神には、常に、母なる大地やラーマ神を思う強い心があったと伝えられます。苦難は、誰しもの人生に存在するものです。こうしてこの混沌としたインドの地で深い安らぎを覚えるのは、大地や神々への祈りが溢れているからに違いなく、どんな苦難にあっても、私たちを支え育む存在があることに気づいていなければならないと実感します。
こうした存在を自分自身の中心に据え、シーター女神のように、強く生きること、そしてその存在に身を委ねることを常に学び、最後には安らかに、自分自身の生まれた場所に帰ることができるよう、今を大切に生きたいと感じています。
(文章:ひるま)
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