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インド音楽

119,科学音楽創成期の危機(Gandharva音楽の台頭)

私がシーターラーマさんからの多大なご支援を得て、この連載コラムを書かせて頂いております、最大の目的は、ネットや書籍では説かれていない、インド音楽のより深い情報をお伝えすることにあります。

そして、願わくば、「インド科学音楽:Shastriya-Sangit」の存在を知って頂くことと、「医食同源」の言葉の元に、私たちの体の心配や、食べ物・飲み物の心配は多くの方が勉強されているのに、「何故『言葉・文字・文章・音・音楽』には、とても無頓着なのだろうか?」の強い疑問と懸念、そして、危惧を抱くが故の、或る種の警告的な性質も、より多くの方々にご理解頂けたら誠に幸いであると存じます。

とは言っても、前回のコラムでも、それ以前にも説きましたが、「人間が神々のことを深く学ぼうとせず、都合の良いように解釈する傾向は、実は、紀元前から始っている」という事実もあります。

とうとう流石に、私たちの宿主である地球も大きな悲鳴を上げるような事態に陥りましたが、言い換えれば、数千年も前から「その徴候(人間の愚かな悪癖)」がありながら、「良くも数千年も保ったものだ」という、哀しい感心も否めません。

人間の歴史の中で、今日の私たちには想像も付かないほどの苦境や、苦難、不条理に苦しんだ人々は数多く居る筈です。しかし、そのような中に於いても、その大きな変換の時代に立ち会った宿命を真摯に享受し立ち向かった人々が居てくれて、今日の私たちがあるのです。

その意味では、おそらく「宿主」であると共に、世界の多くの宗教や、それ以前のアニミズムが強く説いた「母」であり「神」でさえある「地球」が悲鳴を上げていると共に、「人類の叡智と悟性」が、最早瀕死の状態に至ったこの時代に「立ち会った」私たちもまた、その宿命を光栄と受け止め向い合うか、それとも、自らの不遇や不満足に被害者意識を募らせて、利己に走り、「人生をやり切り、逃げ切る」ような生き方で終わるか? が問われているのではないでしょうか。

しかしその選択は、社会的には確かに「当人の自由」かも知れませんし、逆に、「望み」でもないことを、義務や責任でさせても意味も効果も得られないかも知れません。

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古代インド科学音楽が背負った宿命 (1)
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古代インド科学音楽が誕生したのは、おそらく紀元前3千年ほど前のこと。しかし、その当時の記述はもっぱらヴェーダに限られていますので、音楽が語られるようになったのは、紀元前千年前後の、ご存知「Sama-Veda」の頃からとなります。

つまり、「Vedaが先か?Shastriya-Sangitが先か?」は、確定のしようがないのです。しかし、いずれにしても当初、「Veda(Sama--Vedaなど)」と「Shastriya-Sangit」は、ほぼ同源同義であり、同じ祭官や僧侶が取り組んでいたものと考えられます。

ところが、そもそも音楽は、Veda祭官のある一派が「音楽はVedaから生じた」と主張する以前に、巷では「鼻歌」を歩きながら歌っていた庶民も居れば、五音以上音の出る笛も在ったに違いないのです。つまり、「Veda詠唱」が、数百年毎に「一音から二音、二音から三音、それら三つの音が四度転調して」とやっている最中にも、「庶民音楽」は、存在していたし、祭官御自身も、寺では一二音で経を読みつつ、非番の日には、ついつい鼻歌を歌っていたかも知れないのです。

またそれどころか、既に当時のブラフマン教寺院や王宮には、「宴楽」も存在したし、花柳界もあれば、そこでの艶歌も存在していた筈なのです。

そんな中で、既に存在している音楽に「科学(Tantra)(及び音楽療法の効能)」を見た人々が居て、「科学音楽/Shastriya-Sangit」が形作られて行くと共に、祭官の別な派は、前述した「物語」を構築する必要があったのです。尤も、それが「物語」となったのは、それから数千年後のことの可能性もあります。紀元前11世紀頃は、純然たる「Veda詠唱法の推移」を説いた(記録した)だけだったのかも知れません。

しかし、いずれにしてもその後の千年二千年の間に、ブラフマン教の混乱期、仏教やジャイナ教、その他の宗教や思想・哲学の台頭と、様々な戦乱の時期を経て、その著述期間は、未だ今日も不詳ながら、紀元前6世紀から起原6世紀の間の千年の中の数百年」と言われる、残念ながら「現存する(Sama-Veda以外の)音楽の記述がある最古の文献」が、現れます。

当然のことながら、その著者「Bharatha」は、一人の人物ではなく、そもそもその著書「Natya-Shastra」は、このコラムの連載冒頭に述べましたが、「ブラフマン~ヒンドゥー教布教のための音楽劇」の興隆に伴った、その劇の指導書や記録の意味合いのものなのです。

「Bharatha」は、「音楽舞踊演出家」の官職であり、同様に「Narada」は「音楽監督」、「Tandu」は「舞踊演出家」の官職名でもありました。勿論、12世紀の「Narada-Shiksha」:の著者Narada-Muniは、個人と思われます。しかし、「Natya-Shastra」で著わされるNaradaは、それこそ数百年の間の数十人かも知れません。神話の中のNarada-Muniは、そのような音楽賢人の数人の総称的・象徴的存在とも考えられます。
しかし、今日現在でさえ、このことを理解している現地インドの研究者・演奏家は、ほんの一握りであり、多くは、バラタでさえも個人と考え、そう語っています。

その複数のバラタ(舞踊劇監督・演出家)の誰かが、ある程度時代の的を絞って、紀元前2世紀~西暦2世紀の間に、「ブラフマン~ヒンドゥー布教舞踊劇」に於ける音楽を、「Gandharva音楽」と称し、「Veda音楽」との曖昧な線引きを行ったのです。

Gandharvaの存在は、神話では「天上の楽師」とされ、仏教でも「乾闥婆」の表記で語られています。勿論、阿修羅などと同様に、ブラフマン教の中で既に淘汰され「悪神」や「下級神」とされた神々を仏教が、「帰依と仏法の守護の誓約」で職(立場)を与えた「淘汰された神々」及び、「その従者」です。

しかし、実のところ成立時代が不詳な「Taittiriya-Aranyaka(ヴェーダの奥義(森林書)のひとつ)」に著わされるGandharvaは、既に実在する「宴楽楽師」や「花柳界楽士」であった可能性があります。

つまり、紀元前10世紀前後のブラフマン教布教のための音楽舞踊劇と、紀元前4世紀から紀元後の4世紀迄の千年のヒンドゥー教布教のための音楽舞踊劇の音楽・舞踊・演劇の担い手たちは、そもそも寺院の巫女(Deva-Dasi)や花柳界楽士、より上級で宮廷宴楽楽師であり、そのまま、しばしば(~頻繁に)寺院主宰の「布教ステージ」に駆り出されたと考えられるのです。

勿論、そのまま「布教プログラム専属音楽家」になった者も居たでしょうが、要は、その音楽家が、花柳界・寺院供養楽・宮廷宴楽の音楽家であり、Shastriya-Sangitの専門僧侶とは、全く一線を画した、ということです。

そして、彼らに対し、誰が何の目的でか(論理的に考えれば、答えは二三に絞られますが)神話の「天上の楽師たち」の名:Gandharvaを与え、それを契機に「Gandharva-Sangit」が、後づけで確立したことになったのです。

問題は、彼らを指導した前述のBharatha、Narada、Tanduたちは、何処に所属するどのような芸術家であったのか?ということです。演劇の場合は、寺院の僧侶、すなわち、Veda祭官などの中から、布教活動に熱心で、啓蒙活動に対しての興味関心や知識がある者であったでしょうし、舞踊に関しても従来からの巫女供養舞を取り仕切っていた僧侶だったのでしょう。後には、役者や舞踊手のキャリアからも選ばれたかも知れません。

しかし、こと音楽に関しては、Sama-GanからダイレクトにGandharva--Sangitには、到底至りませんから、何らかの助けをShastriya-Sangitの専門家に求めねばならなかった筈です。
その結果Gandharva--Sangitは、古典音楽としての理論のほとんどをShastriya-Sangitに取材することとなり、それを盾に、Bharathaたちは、『Natiya-Shastra』にて、(おそらくその後期に)「Gandharva--Sangitは、要するにMarga-Sangitなのである」という暴言を吐くに至ったということなのでしょう。

ここでの「Marga-Sangit」は、字義では「道の在る音楽」であり、要するに「正統的」という意味合いです。従って、その実態は、時代と、価値観によって変化してしまいました。
結果論で言えば、紀元前後のこの時代では、「極めてヴェーダ寄りの古典音楽」の意味合いで語られています。

しかし、この用語によって、「Veda音楽」と「科学音楽」がごっちゃにされ、しかも「パフォーマンス音楽(Gandharva-Sangit)」と「同じである」とされてしまった訳です。

これが、既に紀元前後に生じていた「科学音楽の一大危機」であり、この禍根は今日迄残り、様々な問題や矛盾、ひいては、科学音楽のみならず、芸術音楽の衰退や大衆化(安直・短絡・低俗化)の元凶にまで至っているのです。

何故ならば、そもそも「Veda音楽」は、極めて孤高な祈祷楽であり、大衆迎合性は全く不要です。「科学音楽」もまたしかりですが、その科学性には、しばしば宗教の存在さえも邪魔になり、ましてや為政者の恣意が加えられた宗教的方針などの干渉は害でしかありません。科学音楽の探求に於いては、宗教とは分離されてしかるべきなのです。

他方「パフォーマンス音楽(Gandharva-Sangit)」は、それ自体「芸術性と大衆性」の狭間でもがき苦しむものであり、これは古今東西「音楽が普遍的に持つ大きな課題」でもあります。しかし、そもそも「科学音楽」からすれば、そのような「狭間」自体が「不要で無駄であるどころか弊害でしかない」訳ですから、両者の間には、相容れない、同居などあり得ない、性質の異なりがある訳です。

ところで、意外と言いますか、興味深いと言いますか、紀元前6世紀頃に、各種ヴェーダ経典及び、その実践書(Vedanga))祭儀書(Brahmana)に継ぐ、Tantricな要素が濃厚な「森林書(Aranyaka)」は、文字通り「人里離れた森林で」考えられ、祈祷されるものですが、紀元前5~6世紀の時代のことです。TVもネットも無ければ、都会に人も少なく、車も電車も走っていないのに何故その必要があるの? と改めて考えると、改めて驚かされます。

都会であっても、寺院はたっぷりの敷地に豊かな樹々が茂り、動物たちが飛び交っていたことでしょう。 それでも尚、人間社会から遊離せねば得られない境地を求めたという程です。
「科学音楽」もまた、或る面同様だった筈です。

ところが「パフォーマンス音楽(Gandharva-Sangit)」は、本懐が「布教(ブラフマン教、ヒンドゥー教の理解)」であったとしても、或る意味、神棚に背を向けて、聴衆の方を向き、聴衆を「惹き付けてなんぼ」の領域で腕を振るい知恵を絞る方向性にあった訳です。恣意や作為や勘違いがあろうとなかろうと、基本的な性質が異なる訳です。そられが同居してしまえば、どのようなことになるか?  それに加えて、何時の時代にも、ブラフマンの叡智を学び、教える立場の者の中でさえ、「枝葉感覚・思考」で物事を判断する者も居たことでしょうし、Perfoming-Artに使命感を抱いていた者も居たに違いありません。

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何時も、最後までご高読を誠にありがとうございます。

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(文章:若林 忠宏

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